›12 04, 2008

気になること

Posted by figaro;cellphone at 23:52 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
加藤智見『親鸞とルター 信仰の宗教学的考察』より 「M・ウェーバーは言う。『13世紀初頭に開創された真宗は、少なくとも一切の自力行を神聖化することを拒否し、阿弥陀仏への敬虔でひたむきな帰依の意識を強調した限りで西洋のプロテスタントに比較されうる』。また周知のようにプロテスタント神学者K・バルトは、親鸞の教えを『真の宗教』であるとし、キリスト教の信仰に非常に近いとした。」


カント
 わたしは根っからの学者である。わたしは、知識に非常な渇望をおぼえ、それをさらに深めたいという苛立ちを感じ、進歩するごとに満足にひたるのである。かつてわたしは、これだけが人間たるものの誇りとなりうるのだと、信じていた。そして、無知の民衆を軽蔑していた。しかし、ルソーが、わたしの誤りをただしてくれた。
 目のくらんだ優越感は消え失せ、わたしは、人間を尊敬することを学んだ。もしわたしが、つぎのことを信じないなら、わたしは普通の労働者よりも、はるかに恥ずべき人間であることを、知らねばならないだろう。すなわち、人間を尊敬するというこの考え方こそ、全ての他人に一つの価値を与えることができ、その価値からこそ、人間らしい諸権利は由来するのだ、ということを。

『実践理性批判』より
それを思うことが、たび重なれば重なるほど、また長ければ長いほど、ますます新たな、かつますます強い感嘆と崇敬の念とをもって、心を満たすものが二つある。それは、わが上なる星空と、わが内なる道徳法則である。


›7 26, 2008

Fw:

Posted by figaro;cellphone at 17:51 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 徹夜明けで迎えた朝。朝日がまぶしい。慣れない煙草を吸ったら気分が悪くなり、吐いた。この頃、徹夜をすることが多い。徹夜をしてなにをしているという訳でもない。なんとなく眠れなく、夜を過ごす。天井を見渡し、そこにある模様を眺める。これは木を削って年輪のように見せかけているけど、その実プリントだ。板が6枚あるのだが、どれもこれも同じ模様なのだ。そのことに気付いたとき、なんとなくがっかりした。  数年前、部屋の照明を変えた。Tが以前使っていたものに変えたのだった。ぼくは最初この照明器具がいやだった。裸電球を2個だけ使うもので、部屋が暗い。その前に使っていたものは、蛍光灯を2本使う大変明るいものだった。蛍光灯もわざわざ白色にして、オフィスかなにかのように部屋を照らしていた。というのもぼくは本を読むからである。なるべく明るい方がよい。電球2つというとホテルのような明るさだ。  ところが、慣れるとこのホテルのような明るさがよい。落ち着く。読書をするときはスタンドライトを使う。これは蛍光灯を使う一般的なものだが、わざわざ蛍光灯を電球色に変えた。  徹夜明けで迎えた朝。カーテンを閉め切り、といっても遮光性のカーテンではないので、明るい部屋ではあるけれど、直射日光をさえぎった部屋で、布団の上でこれを書いている。今日は1日布団を出る予定はない。髪がぼさぼさでもう美容院に行かなくてはならないけれど。薬がなくなってきたので病院に行かなくてはならないけれど。読まなくてはならない本が数冊あるけれど。



›6 28, 2008

ダークロの日記

Posted by figaro;cellphone at 21:57 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
6/24 風流れる。青空。勝手に梅雨明け宣言。そして夏来たり。日差しも流れる。キレイな光。物事の正しい景色。 625 風邪薬を服用し、一応、眠れた。なにかの副作用か、起きて30分ほど、時を吹き飛ばし、ひたすらなにもせず、ただ座っていた。ベランダのアップルミントは、曇り空に映える。今にも降りはじめそうな空。まだ梅雨に見えるが、たぶんもう夏。組織の成長と個人の成長を完全リンクさせ流通の拡大へ。ただ、個人は組織ではないので注意が必要。思いこみと自己分析の大きな誤解。個人の小さなフィールドは、自己の成長阻害。集団行動、会社生活。さまざまなパスを回していけば、だれかはゴールするはず。戦術の妥当性と同時に相手の技能に合わせたパス回し。売上のゲームメイク。サラリーマンファンタジスタ。発想を大きく転換させて、飛べ。大崎駅のパン屋で熟成カレーパンを食べる。小さいくせに220円でちょっと高いけどパンがフワフワしてて、マイルドなカレーが入り、食欲をそそる油で揚げられていて、とてもおいしい。 機会世界魔界カイ誓い妖怪近い 6/26 外が暗い。雨粒がパラパラと落ちているようだが、この程度なら晴れと呼んでもよさそうなものだろう。電車の中では、生きているのか死んでいるのかよくわからないような愚鈍そうなサラリーマンをよく見かけるが、こういうのと仕事するのは大変そうだ。生活や性格が固まってしまって、それが年月を経て腐っていく時にあふれ出す臭気。そんなことより頭脳回転。世界はすぐそこ。 6/28 曇り空に朝日昇る。湿気があるが、春のような気分。紅茶2杯飲んで出勤。なかなか意識がクリア。大崎で熟成カレーパンを食べる。おいしい。今週は楽だ。よかった。来週は大きなキャンペーンがあるからつらそうだ。来週の準備をしつつ、23時まで仕事。でも一分一秒を争うわけではないので楽だった。売上を上げるためには、成功のプロデュース能力が必要。単純で具体的な計画、誰しもどこかで活躍できる役割分担、雰囲気作り。個人は無駄口を叩かず、みんなが正しい方向へ進むことができるようなホスピタリティー。冷血な理詰めの方法論では間違いなく失敗する。しかし、共産主義の理想論が、ハイパー資本主義真っ只中で実現できるのか?

›6 01, 2008

秘密の結婚

Posted by figaro;cellphone at 23:05 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
ドメニコ・チマローザの『秘密の結婚』を観てきた。幸せな時間だった。


›3 21, 2008

アイス

Posted by figaro;cellphone at 17:28 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
100円アイスって値上がりして「100円」じゃなくなってた。

ガストのハンバーグ結構おいしい。399円。



›3 13, 2008

ドラクエ研究会ーーダークロより

Posted by figaro;cellphone at 23:14 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
ドラクエ研究会そして伝説へ

「まあ、なんだな。過去の恥部をさらけ出して好きな女の子の気を引こうとしても、過去の経験からしてダメなのは分かってるんだけど。でもまた思わず過去の恥部をさらけ出して好きな女の子の気を引こうとして、さらにダメな経験がたまっていくんだけど。過去の恥部がまたその過去の恥部を呼んで無限増殖していくんだけど。だんだん話すこと多くなっていくんだけど。まあなんだな。その一種のバリエーションみたいな奴で、昔、ドラクエ研究会を作ったんだよ。おれと友達とかわいい女の子の三人で。ドラクエってあんじゃん。ジャムじゃん。それじゃあパンじゃん。わざわざ買ってきて、その女の子にあげたのさ。向こうははじめから欲しがっていたの
で大喜び。「ここの洞窟が分かんなくてねえ」と、おれ、電話しまくり。「ええ!そんなに進んだの?全然分からないよ。・・・え?ちょっと言葉だと分かんないなあ。ちょっと俺んちまで来て教えてくれない?」その当時もう一人の研究会員の友達には一度も電話しなかったな、私用でも。でもドラクエ買ってあげたんだけどな。おれ、一人で三つ買ったんだよ。ほんの一時期ドラクエと飯食ったりドラクエと映画見に行ったりド〓€辜Nエとドライブしたりした。ドラクエ三昧の日々だった。で、ドラクエを攻略したかというと、その女の子が攻略できなかったように、ゲーム自体も攻略できなかったと・・・。で、まあ、いま、君の目の前にいるんだけど、よか
ったらPS2を買ってあげようか?ファイナルファンタジーをやろうよ。次回作が出る頃には、おれ、30歳越えちゃいそうだから、まさに「ファイナルファンタジー」。ピッタリの名前だよ。どう?どう?でも君相手だと、最強のロールプレイングゲームになっちゃいそうだなあ・・・・・・。難易度高そう。」


›3 11, 2008

WX330K

Posted by figaro;cellphone at 13:40 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
で、また写真撮りました。 つまらない写真だけど、画質のテストっていうことでよろしくお願いします。



›3 10, 2008

WX330K

Posted by figaro;cellphone at 01:50 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
で撮影した青空です。


›3 06, 2008

WILLCOM買いました

Posted by figaro;cellphone at 21:35 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
久しぶり更新パソコン方が楽なんだろう久しぶりです哲学第一人間者書房民法案内総論債権出たのかな?お母さん謎の意味わかった?電車気を付けてだってね。予想外割です通話テスト前のメールはこっち送って送れないけど!予測変換で文章ですもない。千佳子ですもない。言い出してコーナン健太郎神大来てるならちょっと会いに行こう思ったそういう訳日常言語という哲学第一です?電車気を付けてだってあんまりサクサクしてないなぁ。まあ行こう。言い出してって!予測変換文章です?お母さんmicroSDカード買ってきた使えない、発売時期過ぎてる新刊今度会う時第一人形の家人間性です?お母さん謎の意味わかった?電車気を付けてだってあんまりよ。まあね、尊敬します。


›1 26, 2008

お腹が痛い

Posted by figaro;cellphone at 02:05 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 ガストかどこかに行ったら、子供向けのメニューに30回噛みましょう、噛まないとお腹が痛くなる、虫歯になる、馬鹿になると書いてあった。馬鹿になるというのは、正確には噛むと頭が良くなるかもしれないと書いてあったのだけれど。正確には二つの命題は違うのだけれど、まあここではどうでもよい。  食事をしながら、数えてみたらぼくはほとんど噛まない。物によっては10回も噛んでいない。お腹が痛くなる持病はこれが原因かもしれない。それで、よく噛んで食べるようにしたのだが、これがかなり疲れる。柔らかい餃子とかもよく噛むと疲れる。途中で食べるのをやめたくなるくらいだ。  



›12 15, 2007

カントとランスへの旅

Posted by figaro;cellphone at 02:09 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
イマニュエル・カントとジョアキーノ・ロッシーニの『ランスへの旅』は全く関係がない。ロッシーニの美を認めたのはヘーゲルだった。そのあたりのことは水谷 彰良という音楽学者のロッシーニの本に書いてある。だいいち、カントの時代、ロッシーニはまだ生まれてさえなかった。カントの時代に活躍していたのはイタリア人ならパイジェッロとサリエーリ、ドイツ人ならハイドンとモーツァルトだ。その頃、江戸では常磐津が盛んで、長唄はその独立的な輪郭を整えようとしていた。なんでも、江戸っ子は常磐津がないと、一日でも我慢が出来なかったらしい。その後、常磐津人気は衰退していくが、幕末から明治初期にかけて、常磐津林中という大名人を 迎え、最後にして偉大な栄華を誇った(今でも断片的ながらCDなどで聞くことが出来る)。なにしろ、常磐津を越え、あらゆるジャンルの芸人たちが林中に憧れその芸風を取り込もうとした。長唄では四世吉住小三郎、清元では五世延寿太夫。九代目團十郎は林中を指名して仙台から東京に呼び戻して、『関の扉』を演じた。日本の音楽は世界に誇りうる伝統を持っているが、あらゆる日本の伝統がそうであるように、敗戦後、反動的なものとして扱われた。丸山真男が指摘するように、日本人は飲み込みの早さの反面、核となるものを持っていないのだ。われわれは音楽という最も感性的なものを失ってしまった! さて、ぼくが書きたかったのはこういうことではない。最近ロッシーニを聞いていると、ひょんなことを思い出す。ぼくが大学1年生のころだった。東京芸大の声楽科の学生と飲む機会があった。彼女たちは歌がうまかった。尋ねられてロッシーニが1番好きだと言うと、彼女たちは失笑していた。しかし、今では日本でもロッシーニが音楽の愉悦の天才という評価は自明のものとなっている。


›11 21, 2007

マスカラ

Posted by figaro;cellphone at 23:55 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
ぼくの長いまつげにマスカラを塗ってみました。本当に長い。



›11 20, 2007

Felice

Posted by figaro;cellphone at 07:52 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 横浜のそごうにあるフェリーチェ(イタリア語で「喜び」)という名の喫茶店に行ってきた。ここのプリンは濃厚でとてもおいしい。バニラもふんだんに使われていて香りも心地よい。たかがプリンのくせに結構いい値段がする。そのくせ店の装飾品がどことなくちぐはぐしていて、不思議な店だ。団体客がいて店が混んでいることもあるが、たいていは静かだ。  何年か前にある人とフェリーチェに行く約束をした。ぼくは緊張に顔をこわばらせながら、家を出た。すると時を見計らったかのようにその人から電話があった。仕事で行かれないと言う。極度の緊張の糸が急に切れて、ぼくはひどく混乱した。なぜか、仕事だというのは嘘に違いないと思った。ふとひらめいたその思いつきは、瞬く間に確信となった。ぼくは翻弄されているのだ。ぼくはその人に何回も電話をした。仕事だから当然電話に出られるはずもない。しかし、電話に出られないという事実が逆にぼくの確信に証拠を提供することとなったのだった。  スタンダールは自伝のなかでパイジェッロの小姓にならなかったことを後悔している。スタンダールはスカラ座のオペラ初演日に関して、愉快なエピソードを書いている。オペラ初演日の朝、リブレットが発売される。スタンダールは意気揚々とリブレットを買い込み、部屋に戻るやいなや、それに節付けをする。「どんなマエストロの音楽よりも、わたしの音楽のほうが美しかった。」  ぼくにも似たような経験がある。中学生のころ、よく自前のシンフォニーを口ずさみ、あるいは、叫んでいた。それはモーツァルトやハイドンのどのシンフォニーよりも精緻な響きを持ち、美しいメロディーに溢れているようだった。また、バッハの影響でフルートとチェンバロのソナタを作曲した。これには相当打ち込んだ。ぼくの楽想を五線譜に書き込み、パソコンで演奏して、何回も手直しをした。が、このソナタは一部美しい部分があったものの、結局失敗だった。  このようにして、人生の大半は後悔から成り立っている。



›11 14, 2007

秘密の結婚

Posted by figaro;cellphone at 07:04 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 チマローザの『秘密の結婚』(1792年、ウィーンで初演)は間違いなく傑作だ。このオペラはスタンダールが愛好していたことで知られ、ほとんどスタンダール絡みでしか語られることがない。それも、スタンダールがあたかも血迷ったかのように語られる。スタンダールはモーツァルトをも熱烈に愛した。そして、シェークスピアも。後者の二つはスタンダールの正当な評価で、チマローザに対しては時間の審判によると誤った評価、過大な評価を与えたと言われるようである。現に多くのスタンダール研究者が『秘密の結婚』に対して、否定的な態度を取る。  しかし、これは全く間違っている。ぼくの観察によると多くのスタンダール研究者には音楽的センスが欠けているため、チマローザを音楽家辞典かなにかで少し調べ、彼を勝手に三流作曲家と決め込み、そうした先入観から『秘密の結婚』を聴くのである。もともと、音楽的センスがないのだから、先入観を捨て去ることが出来ない。そして、こんな風に書くのだ。 「思ったよりは、楽しく聴くことが出来た」「意外にも、美しい音楽がところどころにあり、うんぬん」  全く馬鹿げた話しだ。『秘密の結婚』の音楽は全て美しく、情感に溢れていて、オーケストラの伴奏も同時代のパイジェッロなどと比べると、とても充実している。  ちなみに、チマローザの有名な音楽としてはレクイエムもあるが、この曲もオペラ的でとても美しい。モーツァルトの宗教音楽とは対比をなすものだ。


›10 21, 2007

ベートーベン

Posted by figaro;cellphone at 23:53 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 ベートーベンの交響曲第9番を聴いている。今は第三楽章が一番好きだ。追想に耽ることが出来る、スタンダールは音楽の美点をそう語った。第三楽章を聴いていると、まだあらゆる可能性が残されていた頃を思い出す。当時はそれほど美しくなかったにきまっているけど、いま思い出すとそれはこの音楽のように純粋で無垢で無邪気だったように思う。  年をとるにつれ、無邪気さは失われていく。些細なことでも、何でも、それに備わる楽しさを見つけることが出来た。ぼくが好きだったのはしりとりだ。ここ何年もしていない。しりとりって発想が豊かでないと出来ない。なかなか馬鹿に出来ないゲームだ。  いまは自ら発想することも、老人のように億劫になってしまい、ただひたすら過去の作曲家たちの音楽に陶酔している。  何も産み出すことが出来ない。これほどの苦痛があるだろうか。心の中に何も材料がない。幼少の頃より芸術に親しんできたぼくにはとてつもなく恐ろしいことだ。  こうやってブログを書くことすらままならず、更新を怠っている。



›9 14, 2007

ジムニー

Posted by figaro;cellphone at 01:35 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 お金が無いのに、ぼくたち夫婦は車を2台所有している。車ビンボーだ。でも、2台とも軽自動車なので維持費はそんなにはかからない。ぼくたちと書いたけれど、写真のジムニーはマニュアルなので、ぼくしか運転できない。妻はオートマ限定なので。このジムニーはもう16才だ。人間でいえばお婆さんというところだろう。あちこち、がたが来ている。でも、よく海外の映画なんか観ていると、相当ぼろっちい車が余裕そうに走っているので、まだまだいけるんじゃないかと思っている。  昨日オートバックスでエンジンオイルの交換をしてきた。10万キロ以上走っているので、堅いオイルを入れた方がいい。そして、堅いオイルは高いのだ。おまけにオイルがどこからか漏れているらしく、マフラーから薄い白煙が出てくるので、添加剤として上がり止めも入れた。不思議なのが、量り売りと称して軽自動車用に3リットルでオイルを売っているんだけど、上がり止めを入れると2,2リットルしか入らない。残りはくれなかった。なんか納得がいかない。


›9 12, 2007

スタバ

Posted by figaro;cellphone at 23:46 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
で、一服。


›9 05, 2007

ミラノ

Posted by figaro;cellphone at 22:47 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack

 妻とドトールに行った。ミラノサンドAとアイスコーヒーのラージとアイスカフェラテのスモールを頼んだ。ぼくはアイスコーヒーを飲んだ。ミルクを3つ入れて。妻のアイスカフェラテと比べても味はあまり変わらなかった。喫茶店でぼくはコーヒーをゆっくり飲む。妻はあっと言う間に飲んでしまう。アイスカフェラテもかき混ぜながら、あっという間に飲んでしまった。ならラージを頼めばいいのにとも思うけど、最近水分がとれないと言う。うさぎかりすみたいにミラノサンドAを食べる。
 小さな手で小さな口に運んで。
 これ、こんなにマヨネーズ入ってたっけ?
 入ってるときもあるし、作る人によって違うよ。
 やっぱり、そうだよね。おいしいね。
 おいしいよ。
 妻はぼくにミラノサンドAを突き出し、ぼくは一かじりする。ちょっとだけ。妻に食べさせたいから。
 ちょっとだけ会話して、帰った。

›9 02, 2007

アンナ・カレーニナ

Posted by figaro;cellphone at 23:23 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 友人のヤマダさんに禁酒を勧められて、今日は紅茶で過ごしている。アンナ・カレーニナなんかを読みながら。  紅茶っていうものにはカフェインが含まれているのだろうか。飲み過ぎて眠れなくなっちゃうと困る。  ところで、織田作之助は1日に100本も煙草を吸っていたそうだ。ぼくも煙草を吸うけどそんなには吸わない。1日20本ほどだ。ぼくもなにかことあるごとにこれ1本吸ってからとよく思う。出かけなくてはならない、じゃあ1本吸ってから。シャワーに入る前なんて2,3本吸う。そういうとき織田作之助のように人生を浪費しているなとは思わない。  なんで、こんなに倦怠感に襲われ、煙草が倦怠感のはけ口になるのか不思議に思う。近頃はもっとひどくて、煙草を吸う気にすらなれないことがある。億劫なのだ。もう10年以上、煙草を吸っているが、こんなことはない。


›8 29, 2007

泡盛を飲みながら

Posted by figaro;cellphone at 04:59 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 ぼくの父はアル中で死んだ。肝硬変だった。ひどい黄疸で、顔は真っ黄色で、目の白い部分まで黄色だった。最後、父は半ば自ら死ぬつもりで酒を飲んでいた。それは家計上の問題でもあり、父がこの世で居場所を喪失してしまったということでもあった。父は大変な慈善家であった。自分が弱者でありながら、弱者を見ると黙ってはいられない性質だった。若いときから誠実だった。父は学生運動で日芸の副委員長を務めた。学生運動が終結したとき、正確にいえば敗北したとき、学生としての本分を遂げるのかと当局に聞かれたとき、父は否と答えた。自分の成したげたことに誠実でありたい、父の願いはただそれだけだった。  父の友人たちはこぞって、当局の要求をのんだ。しかし、父は彼らを非難することは決してなかった。父は黙って大学を去った。ぼくはそんな父をひ弱だと思った。現実の就職やらなんやらを配慮し、当局と和睦した彼らを非難する資格が父にはあるのではないかと。年老いて、時に彼らに卑屈になる態度にぼくは激昂さえした。  若さ、これは永遠の美徳である。しかし、誰にも(そう、一人残らず!)、それは一瞬のものだ。ぼくも30代の半ばを迎え、いまだなにも成し遂げていないことに、非常な腹立ちを覚える。友人を見渡すと、それなりに成果を出した人もいる。ぼくは一体なにをなしてきたのだろうか?なにもしていない!なにも、なにひとつさえしていない。  そんなことを考えるとぼくにも黄疸の兆候くらい見えてもいいんじゃないかと思うけど、それもままならない。なにごとにおいても中途半端だ。なぜ父を責めることができたのだろうか?


魔笛

Posted by figaro;cellphone at 02:49 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 ケネス・ブラナー監督の魔笛を観てきた。1回は妻と。もう1回は一人で。魔笛は不思議な物語だ。勧善懲悪の物語なんだけど、善玉と悪玉が途中で入れ替わる。このちぐはぐに人々は大いに頭を悩ましてきた。ある人はそれは矛盾であり三文小説より下らない、魔笛はただモーツァルトの音楽のためだけに未だに価値があると考え、ある人はそれは矛盾などではなく、意味のある転換であると考える。ゲーテは後者だったらしく、魔笛を観て自らのファウストをオペラ化出来るのはモーツァルトだけだと述べている。  ケネス・ブラナーの演出はすばらしく、これまで何回か魔笛を劇場で鑑賞したけれど、はじめて好きになった。奇をてらうところがなかったのと、愛の物語にフォーカスしたのが良かった。魔笛には色々な要素があるので、どこに力点を置くかでずいぶんと違った印象になる。何かしてやろうという演出家の気持ちは分かるけど、あまりやりすぎるとひどい有様になる。この前、新国立で観たセビリアの理髪師がまさにそうだった。この楽しい喜劇をよりおもしろく仕立ててみせようという魂胆が丸見えで、すっかりしらけてしまった。セビリアの理髪師は普通に上演すればそれで十分楽しい(歌手がちゃんと歌えていれば)。だから、どぎつい演出などではなく スパイスをきかせた上品なユーモアの方がたいていうまくいく。もちろん例外は付き物でどぎつい演出がうまくいった例もあるにはある(1976年のニューヨークシティーオペラの公演)。 


›8 16, 2007

転調

Posted by figaro;cellphone at 22:40 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 妻が転調の作業をしている。恩師に頼まれたらしい。妻はなにも頼りにせず、転調が出来、それは一種の特技とも言えるのに、本人は誰でも出来るよ、と言う。清書も兼ねてボールペンで書いてしまっているので、誰でも出来るっていう訳ではない。  何か書こうと思っていたんだけど、忘れてしまった。昨日思いついて、一度忘れ、寝る前ヒルベルトの「公理的思惟」を読んでいる時、また思い出した。起きたらまた忘れていた。  忘れてしまったせいか、それはとても素敵なアイデアだったような気がしてならない。とても素敵で魅惑的なメロディーのように。  ところで、友人の友人にリンクを頼まれた。こんなブログにリンクしてなにか実益があるのだろうか?が、2週間くらいパソコンの電源をつけていないので、まだしばらくかかりそうです。ウィルス対策ソフトも更新切れしているらしいし、近いうちにやります。  このような通信機能を備えたPDAがあると、これでことが済むことが多いので、パソコンが面倒になる。機動に時間もかかるし。  友人からメールが来た。全てうまくいくように!ぼくたちのかけがえのない人生になんたらと。彼は20代のころ読んだウィトゲンシュタインの有名な伝記を通して、ラジカルな倫理的人間になった。ぼくはと言えば、最近同じ本を読んでひどい毒気に当てられた。ぼくは才能の無いウィトゲンシュタインだ。  日本音楽についても書きたいことがあったんだけど、またいずれ。

 


›8 03, 2007

明日は

Posted by figaro;cellphone at 13:44 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 明日はハットリくんのおさそいでダークロときんたろうと野球を見に行く。野球を見るのはハットリくんに誘われて以来だから何年ぶりかな。あのころ、まだダークロは結婚していなかったんじゃないかな。たしか。  横浜対どこなんだろう?基本的にスポーツにまったく興味がないので、分からない。分からないと言えば、実は野球のルールもちゃんと知らない。まあ、世の中そんなもので生きてはいけるものだ。  ダークロはぼくの分裂気味な行動におそれをなしたのか、変なメールをしてきた。現実はわれわれが想像している以上に多様なのだ。そのことに気づかないのはサラリーマンの限界なのだろうか?  ぼくはと言えば、平日のこんな時間にドトールにいる。さっき美容院にも行ってきた。出来れば、このすっきりとしたヘアスタイルもお見せしたいけど、見たい人もいないだろうから止めておきます。  ドトールで好きな本を読む(なかば義務的ではあるけれど)。こんな生活もあるんだよ。いいじゃん。

›7 29, 2007

つまらない問題

Posted by figaro;cellphone at 19:39 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 わたしはわたしの罪が因果応報でわたしのところへ、いやらしい微笑をもって帰ってきたのだと思っている。わたしを苦しめる問題はたいしたものではない。たいていの人々のたいていの問題がたいしたことのないのと同じだ。しかし、客観的にたいしたことのない問題でも、本人にとっては非常に意味がある場合がある。わたしの多少なりとも思弁的といえる活動は、このたわいもない問題によって停止してしまった。わたしは、たわいもない問題によってわたしのより重要な問題がおざなりになっていることが、更に問題であることを認識してはいる。しかし、心のもっと情緒的な面がわたしの悟性がわたしに命ずる指示を無視する。無視するばかりでなく、情 緒的な側面が勝利し、わたしの心を乗っ取ってしまった。もともと、情緒的なわたしは「情緒的なわたし」の奴隷と化した。  わたしは「情緒的なわたし」との静かな戦いに勝たねばならない。それは剣と剣とがぶつかり合う音もせず、ラッパの音もない不気味な戦いだ。なぜなら、「情緒的なわたし」はポオのカラスのように深夜にひっそりとわたしのこころに攻め行ってきて、わたしをすっかり腑抜けにしてしまったから。  くだらない喩えは止めよう。  書くこととは思考することだ。こうして少しだけでもわたしの問題について書いただけで、淡い希望を持てる。

›7 23, 2007

尾瀬

Posted by figaro;cellphone at 16:57 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 妻と尾瀬に行ってきた。山道を下っていくと、見渡す限りの湿原が現れた。湿原のまわりを低い山々が囲んでいる。ぼくたちは湿原の中に設けてある木製の通路を少ししゃべりながら歩いた。帰りのバスの関係からどこまで行って引き戻してくるのか考えなければならなかった。ぼくは疲れてしまい、少し休もうと言って、朽ちかけたベンチに座った。宿の人に山だから天気が変わりやすいと言われて、ぼくたちは傘を持参していた、ところが快晴で雨は降りそうにもない。傘はホームズのステッキのような役割を担っていた。傘の先で色々な茂みをつつく。傘をぶらぶらさせてぼくはすっかりホームズの気分になっていた。それで、ぼくは隣に座る老夫婦のしゃべ ることに聞き込んでいた。夫が妻に尾瀬に伝わるいにしえの物語を語っている。老いた妻はああ、そうですかと聞いて、時折あれはなんですか、と尋ねる。ぼくは素晴らしい自然の中でそういった会話に触れすっかり感動してしまい。妻にどうしたの?と聞かれたが、答えることが出来なかった。  ぼくたちはまた歩き出した。カエルの合唱が聞こえてくる。サラウンドで。すぐ足下にもカエルはいるようだった。ぼくはホームズのステッキで足下をつついた。妻も茂みをつついた。しかし、カエルはいない。  妻と相談して決めた折り返し地点まで来た。ぼくはすっかり体力を消耗していた。妻は、頑張ってと言ってぼくをリードして歩き始めた。時折、ぼくがきちんと付いてきているか確認するため、後ろを振り返りながら。ぼくはまたしても不思議な感動に襲われた。

›7 20, 2007

テスト

Posted by figaro;cellphone at 19:32 / Category: 携帯電話からの投稿 / 1 Comments / 0 TrackBack
アドバンストエスのカメラテストです。

ご無沙汰してます

Posted by figaro;cellphone at 19:26 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
  半年以上も更新していない。私生活上、色々な出来事はあったけれども、公表するようなことはない。更新しない一番の問題は詩的な気分になれないということだった。ぼくの文章は詩的という訳ではないけれども、ほとんどが詩的な気分で書かれている。詩的な気分になるには孤独が必要だ。ぼくはそれほど孤独ではなかったし、今でも孤独ではない。孤独というとルソーを思い出す。ルソーを思い出すと、デリダを思い出す。最近、デリダの『法の力』を読もうと思い、入門書を読んでいた。周知の通りデリダはルソーのエクリチュールの軽視を問題にする。そこで、ぼくは少し思った。われわれ日本人には西洋人と違い、書かれたものに対する軽視はないの ではないか。状況はむしろ逆で『西遊記』で三蔵法師がお経を天竺まで求めたように、わざわざ命を懸けてまで渇望し重視するものなのではないか。天竺にある経典には、われわれを苦悩から救ってくれるあらゆる知識が書き込まれている。われわれはあるいはそれを読むだけで、唱えるだけで救われるだろう。  ところで、今、この文章を昨日発売されたWILLCOMの新しいスマートフォンで書いている。非常に秀逸な機械だ。パソコン並とはいかないけれど、かなりストレスなく文章を書くことができる。ケータイでこれだけの長さの文章を書くのは不可能に近い。この機械にはキーボードが付いているので、これからぼくのよき日記帳になってくれるだろう。  という訳で、これからなるべく更新します。

›9 18, 2006

nico.

Posted by figaro;cellphone at 04:48 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
ニコ買いました。通話とメールしか出来ません。画面も昔のケータイみたい。もちろんカメラも付いてません。Javaなんかカメラがないくらいだからありません。ネットも出来ません。 でも小さくて可愛くてシンプルでいい。 メールの送受信も異様に早い。 auとかWILLCOMは遅いよね。パソコンみたいなメーラーが搭載されているWILLCOMが遅いのは理解出来るとして、auのメールの遅さはいったいなんなんだろう? という訳でニコからの初投稿。


›9 03, 2006

お散歩

Posted by figaro;cellphone at 20:26 / Category: 携帯電話からの投稿 / 1 Comments / 0 TrackBack
 今まで知らなかったんだけど、近所に自然があった。





›8 14, 2006

吉祥寺にて

Posted by figaro;cellphone at 18:37 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack

›8 09, 2006

ITO-YA

Posted by figaro;cellphone at 15:01 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 伊東屋のオリジナル文具を買い揃えた。前から使っていたんだけど、シャーペンがだめになってきてしまって、1本だけ使ってると、いざという時不安だからまとめて注文した。とても書きやすくて一度慣れてしまうと、他のものを使えない。  一番手前に写っているのはPelikanの万年筆。これも書きやすい。子供用で万年筆をうまく持てるように、グリップのところにゴムのガイドが付いているのもいい。万年筆なんてずいぶん前に安くて全然だめなのを使ったことがあるだけだから、こういう配慮はいい。これも安いんだけど、安い日本製のよりはいい。安い日本製の万年筆というのは、妙に高級万年筆を模して作ってあるから、なんだか気持ち悪い。書きにくいし。これは見た目通りプラスチックで、変に背伸びをしていないのがいい。そういえば、車もそうだ。大衆車である我がプントも全く背伸びをしていないところが魅力的だ。安っちい造りがかえって好感に結びつく。安くて何が悪 いの?というような開き直りが心地よい。  伊東屋オリジナル文具は安くはないけど、素晴らしい。車で言うと、優秀なトヨタ車みたい。


›8 06, 2006

憂鬱

Posted by figaro;cellphone at 11:03 / Category: 携帯電話からの投稿 / 2 Comments / 0 TrackBack
 なんでこんなに憂鬱なんだろう。夏だというのに、ぼくは枯れ葉のようだ。なにもする気がない。すでに役目を終えた枯れ葉のようにただここに存在するだけだ。言葉も出ない。かつては言葉が溢れ出ることもあったが。窓の外の夏の雰囲気、夏の気配、夏の音を感じながら、ぼくは冬眠するかのようにただ寝っころがっている。ひどい。ふと思う。みんなすごいな。なんであれほど行動力に充ちているのだろう。なんで、寝っころがっていないで、行動してるんだろう。誰に対してもそう思う。なにかのイベントで朝から行列している。ぼくにはそんなことは出来ないし、したくもない。しかし、その行動力にただただ驚くばかりだ。ぼくは出来ることなら、家に

いる猫みたいにずっと寝ていたい。そして、実際そうしていることも多々ある。猫っていうのはなんであんなに寝ていることが出来るのだろう。ぼくがずっと寝ていると、顔はむくむし、頭痛はひどいしで、うんざりするんだが。イリヤー・イリッチ・オブローモフ!ぼくはほんとにあんたみたいだよ。ハムレットじゃない。ハムレットのぐずぐずしているところはどこか高潔さを感じる。漱石の登場人物でもない。彼らのぐずぐずしているところもなにか訳を感じる。イリヤー・イリッチのぐずぐずしているところはただただ、彼のだめさからだ。彼にも美点はある。それはしかし、彼のだめさと裏腹なものだ。彼は優しい、しかしそれは彼が優柔不断で問題を表面
化したくないからだ。彼は知的だ、しかしそれは彼がただたんに現実的でないからだ。このロールカーテン、ぼくはこれを何百回と見たことだろう。このロールカーテンをぼけっと見ているとき、ぼくはひどい憂鬱にとらわれている。


›8 05, 2006

続オブローモ