›12 04, 2008

気になること

Posted by figaro;cellphone at 23:52 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
加藤智見『親鸞とルター 信仰の宗教学的考察』より 「M・ウェーバーは言う。『13世紀初頭に開創された真宗は、少なくとも一切の自力行を神聖化することを拒否し、阿弥陀仏への敬虔でひたむきな帰依の意識を強調した限りで西洋のプロテスタントに比較されうる』。また周知のようにプロテスタント神学者K・バルトは、親鸞の教えを『真の宗教』であるとし、キリスト教の信仰に非常に近いとした。」


カント
 わたしは根っからの学者である。わたしは、知識に非常な渇望をおぼえ、それをさらに深めたいという苛立ちを感じ、進歩するごとに満足にひたるのである。かつてわたしは、これだけが人間たるものの誇りとなりうるのだと、信じていた。そして、無知の民衆を軽蔑していた。しかし、ルソーが、わたしの誤りをただしてくれた。
 目のくらんだ優越感は消え失せ、わたしは、人間を尊敬することを学んだ。もしわたしが、つぎのことを信じないなら、わたしは普通の労働者よりも、はるかに恥ずべき人間であることを、知らねばならないだろう。すなわち、人間を尊敬するというこの考え方こそ、全ての他人に一つの価値を与えることができ、その価値からこそ、人間らしい諸権利は由来するのだ、ということを。

『実践理性批判』より
それを思うことが、たび重なれば重なるほど、また長ければ長いほど、ますます新たな、かつますます強い感嘆と崇敬の念とをもって、心を満たすものが二つある。それは、わが上なる星空と、わが内なる道徳法則である。