›8 29, 2007

泡盛を飲みながら

Posted by figaro;cellphone at 04:59 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 ぼくの父はアル中で死んだ。肝硬変だった。ひどい黄疸で、顔は真っ黄色で、目の白い部分まで黄色だった。最後、父は半ば自ら死ぬつもりで酒を飲んでいた。それは家計上の問題でもあり、父がこの世で居場所を喪失してしまったということでもあった。父は大変な慈善家であった。自分が弱者でありながら、弱者を見ると黙ってはいられない性質だった。若いときから誠実だった。父は学生運動で日芸の副委員長を務めた。学生運動が終結したとき、正確にいえば敗北したとき、学生としての本分を遂げるのかと当局に聞かれたとき、父は否と答えた。自分の成したげたことに誠実でありたい、父の願いはただそれだけだった。  父の友人たちはこぞって、当局の要求をのんだ。しかし、父は彼らを非難することは決してなかった。父は黙って大学を去った。ぼくはそんな父をひ弱だと思った。現実の就職やらなんやらを配慮し、当局と和睦した彼らを非難する資格が父にはあるのではないかと。年老いて、時に彼らに卑屈になる態度にぼくは激昂さえした。  若さ、これは永遠の美徳である。しかし、誰にも(そう、一人残らず!)、それは一瞬のものだ。ぼくも30代の半ばを迎え、いまだなにも成し遂げていないことに、非常な腹立ちを覚える。友人を見渡すと、それなりに成果を出した人もいる。ぼくは一体なにをなしてきたのだろうか?なにもしていない!なにも、なにひとつさえしていない。  そんなことを考えるとぼくにも黄疸の兆候くらい見えてもいいんじゃないかと思うけど、それもままならない。なにごとにおいても中途半端だ。なぜ父を責めることができたのだろうか?


魔笛

Posted by figaro;cellphone at 02:49 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 ケネス・ブラナー監督の魔笛を観てきた。1回は妻と。もう1回は一人で。魔笛は不思議な物語だ。勧善懲悪の物語なんだけど、善玉と悪玉が途中で入れ替わる。このちぐはぐに人々は大いに頭を悩ましてきた。ある人はそれは矛盾であり三文小説より下らない、魔笛はただモーツァルトの音楽のためだけに未だに価値があると考え、ある人はそれは矛盾などではなく、意味のある転換であると考える。ゲーテは後者だったらしく、魔笛を観て自らのファウストをオペラ化出来るのはモーツァルトだけだと述べている。  ケネス・ブラナーの演出はすばらしく、これまで何回か魔笛を劇場で鑑賞したけれど、はじめて好きになった。奇をてらうところがなかったのと、愛の物語にフォーカスしたのが良かった。魔笛には色々な要素があるので、どこに力点を置くかでずいぶんと違った印象になる。何かしてやろうという演出家の気持ちは分かるけど、あまりやりすぎるとひどい有様になる。この前、新国立で観たセビリアの理髪師がまさにそうだった。この楽しい喜劇をよりおもしろく仕立ててみせようという魂胆が丸見えで、すっかりしらけてしまった。セビリアの理髪師は普通に上演すればそれで十分楽しい(歌手がちゃんと歌えていれば)。だから、どぎつい演出などではなく スパイスをきかせた上品なユーモアの方がたいていうまくいく。もちろん例外は付き物でどぎつい演出がうまくいった例もあるにはある(1976年のニューヨークシティーオペラの公演)。 


›8 16, 2007

転調

Posted by figaro;cellphone at 22:40 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 妻が転調の作業をしている。恩師に頼まれたらしい。妻はなにも頼りにせず、転調が出来、それは一種の特技とも言えるのに、本人は誰でも出来るよ、と言う。清書も兼ねてボールペンで書いてしまっているので、誰でも出来るっていう訳ではない。  何か書こうと思っていたんだけど、忘れてしまった。昨日思いついて、一度忘れ、寝る前ヒルベルトの「公理的思惟」を読んでいる時、また思い出した。起きたらまた忘れていた。  忘れてしまったせいか、それはとても素敵なアイデアだったような気がしてならない。とても素敵で魅惑的なメロディーのように。  ところで、友人の友人にリンクを頼まれた。こんなブログにリンクしてなにか実益があるのだろうか?が、2週間くらいパソコンの電源をつけていないので、まだしばらくかかりそうです。ウィルス対策ソフトも更新切れしているらしいし、近いうちにやります。  このような通信機能を備えたPDAがあると、これでことが済むことが多いので、パソコンが面倒になる。機動に時間もかかるし。  友人からメールが来た。全てうまくいくように!ぼくたちのかけがえのない人生になんたらと。彼は20代のころ読んだウィトゲンシュタインの有名な伝記を通して、ラジカルな倫理的人間になった。ぼくはと言えば、最近同じ本を読んでひどい毒気に当てられた。ぼくは才能の無いウィトゲンシュタインだ。  日本音楽についても書きたいことがあったんだけど、またいずれ。

 


›8 03, 2007

明日は

Posted by figaro;cellphone at 13:44 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 明日はハットリくんのおさそいでダークロときんたろうと野球を見に行く。野球を見るのはハットリくんに誘われて以来だから何年ぶりかな。あのころ、まだダークロは結婚していなかったんじゃないかな。たしか。  横浜対どこなんだろう?基本的にスポーツにまったく興味がないので、分からない。分からないと言えば、実は野球のルールもちゃんと知らない。まあ、世の中そんなもので生きてはいけるものだ。  ダークロはぼくの分裂気味な行動におそれをなしたのか、変なメールをしてきた。現実はわれわれが想像している以上に多様なのだ。そのことに気づかないのはサラリーマンの限界なのだろうか?  ぼくはと言えば、平日のこんな時間にドトールにいる。さっき美容院にも行ってきた。出来れば、このすっきりとしたヘアスタイルもお見せしたいけど、見たい人もいないだろうから止めておきます。  ドトールで好きな本を読む(なかば義務的ではあるけれど)。こんな生活もあるんだよ。いいじゃん。