›7 29, 2007
つまらない問題
Posted by figaro;cellphone at
19:39 /
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わたしはわたしの罪が因果応報でわたしのところへ、いやらしい微笑をもって帰ってきたのだと思っている。わたしを苦しめる問題はたいしたものではない。たいていの人々のたいていの問題がたいしたことのないのと同じだ。しかし、客観的にたいしたことのない問題でも、本人にとっては非常に意味がある場合がある。わたしの多少なりとも思弁的といえる活動は、このたわいもない問題によって停止してしまった。わたしは、たわいもない問題によってわたしのより重要な問題がおざなりになっていることが、更に問題であることを認識してはいる。しかし、心のもっと情緒的な面がわたしの悟性がわたしに命ずる指示を無視する。無視するばかりでなく、情
緒的な側面が勝利し、わたしの心を乗っ取ってしまった。もともと、情緒的なわたしは「情緒的なわたし」の奴隷と化した。
わたしは「情緒的なわたし」との静かな戦いに勝たねばならない。それは剣と剣とがぶつかり合う音もせず、ラッパの音もない不気味な戦いだ。なぜなら、「情緒的なわたし」はポオのカラスのように深夜にひっそりとわたしのこころに攻め行ってきて、わたしをすっかり腑抜けにしてしまったから。
くだらない喩えは止めよう。
書くこととは思考することだ。こうして少しだけでもわたしの問題について書いただけで、淡い希望を持てる。
›7 23, 2007
尾瀬
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16:57 /
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妻と尾瀬に行ってきた。山道を下っていくと、見渡す限りの湿原が現れた。湿原のまわりを低い山々が囲んでいる。ぼくたちは湿原の中に設けてある木製の通路を少ししゃべりながら歩いた。帰りのバスの関係からどこまで行って引き戻してくるのか考えなければならなかった。ぼくは疲れてしまい、少し休もうと言って、朽ちかけたベンチに座った。宿の人に山だから天気が変わりやすいと言われて、ぼくたちは傘を持参していた、ところが快晴で雨は降りそうにもない。傘はホームズのステッキのような役割を担っていた。傘の先で色々な茂みをつつく。傘をぶらぶらさせてぼくはすっかりホームズの気分になっていた。それで、ぼくは隣に座る老夫婦のしゃべ
ることに聞き込んでいた。夫が妻に尾瀬に伝わるいにしえの物語を語っている。老いた妻はああ、そうですかと聞いて、時折あれはなんですか、と尋ねる。ぼくは素晴らしい自然の中でそういった会話に触れすっかり感動してしまい。妻にどうしたの?と聞かれたが、答えることが出来なかった。
ぼくたちはまた歩き出した。カエルの合唱が聞こえてくる。サラウンドで。すぐ足下にもカエルはいるようだった。ぼくはホームズのステッキで足下をつついた。妻も茂みをつついた。しかし、カエルはいない。
妻と相談して決めた折り返し地点まで来た。ぼくはすっかり体力を消耗していた。妻は、頑張ってと言ってぼくをリードして歩き始めた。時折、ぼくがきちんと付いてきているか確認するため、後ろを振り返りながら。ぼくはまたしても不思議な感動に襲われた。
›7 20, 2007
テスト
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ご無沙汰してます
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19:26 /
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半年以上も更新していない。私生活上、色々な出来事はあったけれども、公表するようなことはない。更新しない一番の問題は詩的な気分になれないということだった。ぼくの文章は詩的という訳ではないけれども、ほとんどが詩的な気分で書かれている。詩的な気分になるには孤独が必要だ。ぼくはそれほど孤独ではなかったし、今でも孤独ではない。孤独というとルソーを思い出す。ルソーを思い出すと、デリダを思い出す。最近、デリダの『法の力』を読もうと思い、入門書を読んでいた。周知の通りデリダはルソーのエクリチュールの軽視を問題にする。そこで、ぼくは少し思った。われわれ日本人には西洋人と違い、書かれたものに対する軽視はないの
ではないか。状況はむしろ逆で『西遊記』で三蔵法師がお経を天竺まで求めたように、わざわざ命を懸けてまで渇望し重視するものなのではないか。天竺にある経典には、われわれを苦悩から救ってくれるあらゆる知識が書き込まれている。われわれはあるいはそれを読むだけで、唱えるだけで救われるだろう。
ところで、今、この文章を昨日発売されたWILLCOMの新しいスマートフォンで書いている。非常に秀逸な機械だ。パソコン並とはいかないけれど、かなりストレスなく文章を書くことができる。ケータイでこれだけの長さの文章を書くのは不可能に近い。この機械にはキーボードが付いているので、これからぼくのよき日記帳になってくれるだろう。
という訳で、これからなるべく更新します。