›4 30, 2006

かなり新しい迷惑メール

Posted by figaro at 22:57 / Category: 雑文 / 1 Comments / 0 TrackBack

新手というか、なんなんだ??????

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<ノムヒョン大統領>「竹島」挑発
rikako^-^
宛先: 自分
詳細オプション 21:52 (1時間前)
 【ソウル堀山明子】韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は25日、竹島(韓国名・独島)をめぐる最近の日韓摩擦を受け、「日韓関係についての特別談話」を発表した。盧大統領は竹島問題について歴史清算問題との認識を示し、日本の領有権主張を「過去の植民地の領土権主張であり、韓国の完全な解放と独立を否定する行為だ」と批判した。さらに「静かな対応では管理できない。物理的な挑発には断固として対応する」と述べ、紛争問題化を回避するため韓国政府が続けてきたとする「静かな外交」を全面的に見直す考えを表明した。
 盧大統領が日韓関係について特別談話を発表するのは初めて。発表はテレビで生中継された。
 盧大統領は、竹島について「日本の朝鮮半島侵奪の過程で最初に奪われた歴史の土地だ」と歴史的意義を強調した。日露戦争を「朝鮮半島侵略戦争」と呼び、1905年の日本の竹島編入を「日露戦争遂行を目的にした占領だった」と述べた。
 その上で、竹島問題を「完全な主権回復の象徴」と位置付け、靖国神社参拝、歴史教科書問題をはじめとする日韓の歴史清算問題として正面から取り組む姿勢を示した。さらに、竹島周辺海底の韓国名提起は「当然の権利だ」と強調した。「日本が(韓国名に反対する)不当な主張を放棄しない以上、日韓の排他的経済水域(EEZ)問題を先延ばしできなくなった」と述べ、EEZの境界線を決めるために5月にも再開される日韓協議で「堂々と対処する」方針を示した。
 談話発表に先立ち、潘基文(バンギムン)外交通商相は25日朝のラジオ番組で「緻密(ちみつ)に準備し、独島が必ず韓国側のEEZに含まれるようにする」と述べた。
 日韓のEEZ境界線には竹島の領有権問題が絡むため、99年発効の日韓漁業協定で竹島周辺海域を暫定水域とし、共同管理することを確認した。
 ◇盧武鉉大統領の特別談話要旨
 【ソウル中島哲夫】韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領の特別談話の要旨は次の通り。
 独島(=竹島)は特別な歴史的意味を持つ。日本が朝鮮半島侵奪の過程で最初に、日露戦争遂行を目的に編入した。日露戦争は日本が韓国に対する支配権を得るために起こした侵略戦争だ。
 日本が独島に対する権利を主張することは植民地時代の領土権を主張することだ。犯罪の歴史の正当性を主張する行為は決して容認できない。
 日本が誤った歴史を美化し、それを根拠とする権利を主張する限り韓日友好は成り立たない。いかなる経済的利害関係も文化的な交流も、関係なく中断する。
 独島問題はこれ以上、静かな対応によっては管理できない。政府はこの問題に対する対応方針を全面再検討する。日本の歴史教科書わい曲、靖国神社参拝問題とあわせて韓日の過去の清算と歴史認識、自主独立の歴史と主権の守護という次元で真っ向から立ち向かう。
 物理的な挑発には断固として対処する。世界世論と日本国民に日本政府の不当な処置を分からせる。日本政府が過ちを正すまで、国家の全勢力を挙げて対処し、軍事武力による攻撃もじさない。

ふざけるな!!
http://www.gyakuten6.net/?b18

›4 17, 2006

銭湯通い

Posted by figaro;cellphone at 01:00 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 久しぶりの更新で、すいません。  おそらくだれも更新を期待してはいないと思うけど、一応謝罪しておきます。  更新していなかったのには一応理由があって、それは生活環境ががらりと変わったからです。どう変わったのかはおいおいと書きます。たぶん。でも、このブログで「いずれ書く」と言っておいて書いたことはないんですが。  テレビを観る時間もないほど忙しいんだけど、といってももともとぼくはテレビをあまり観なかったけど、今日はN響アワーを観た。モーツァルトとショスタコーヴィチの特集だった。モーツァルトは生誕250年。ショスタコーヴィチは生誕100年。比較し共通点を探るということだったけど、共通点としてあげられていることはなんだかよく分からなかった。まあ、そんなもんだろう。モーツァルトは「ハフナー」、ショスタコーヴィチは「革命」。どちらも中学生くらいの時、よく聴いた。音楽というのは不思議なもので、聴くと当時のことをよく思い出す。音楽が記憶を呼び起こすのだ。それもふつうの記憶となにか違って、五感を伴う記憶を。  その後、銭湯に行った。家の給湯機が壊れてしまって、ここ何日間銭湯通いだ。一人で、もちろん周りには他に客がいるが、湯船につかっているといろいろなことを考える。  以前も書いたと思うけど、われわれの人生はあまりにも短い。たとえば、ぼくは学部の卒論を書き直したい。テーマが広がりすぎて、うまくまとまらなかった。そして、今でもその事柄に関して興味を有しているので、あんなゴミくずのような物を到底容認出来ない。  大学に8年間も通っていたのには様々な要因があるけれども、卒論も一つの要素だった。納得のいく物を書きたい、しかしテーマがテーマだけに構想をたてては破棄し、一からやり直しの繰り返しだった。ぼくは英文科にいたけれども、解釈の手法として精神分析を用いたので(げんに精神分析批評というジャンルはある)、担当教授も訳が分からず、というのも英文科の教授はある種の批評理論に疎いというか極端に言うと敵視すらする風潮があったので、教授も大変だったと思う。おまけにぼくは少し病んでいた。にもかかわらず、教授はたいへん面倒をみてくれたのでいまでもたいへん感謝している。  卒論を書き直したい、また卒業後、漱石の高等遊民のようにのんきに関心・分野を広げ本を読みあさっていたので、どう考えてもそれらを網羅することは出来ない。そういう意味で人生は短いと言うのだ。  アルトゥール・カウフマンは『法哲学 第二版』でブルックハルトを引用している。 「諸科学では、‥専門家としてしか大家であることが出来ないし、またそうあるべきである。しかし、‥自らの負担で自分の認識を増強し、諸々の視点を豊かなものにするために、なおできるだけの多くの別の場所で、人はディレッタントであることが求められるであろう。そうでなければ、ひとは、専門性を超えるすべてについて無知であ(る)。‥しかしディレッタントにとっては、彼が諸事物を愛するがゆえに、様々な場所でもまた自らがまことに深められることが、おそらくは彼の生活の流れのなかで可能となることであろう。」  知と人生の有限性については岩波文庫から出版されているカントの『啓蒙について』のどこかに書かれています。興味のある方はどうぞ。


 写真は大学院の建物の横。気分がよくなる、爽やかな香りに満ちていた。