父の最後の入院の前夜だったか、父はぼくのとなりの部屋で、寝ていた。そこは父の部屋であったのにもかかわらず、すでに物置のようだった。家財に囲まれて、家財というかごみというのか分からないようなものに、囲まれて、寝ていた。
枕元には、ぼくと同じように、スタンドライトがあった。本を読まないと眠れないのだ。ぼくと同じように。父は音楽を聞きながら眠ることもあった。さだまさしかモーツァルト。たまには、どういうわけか、ビーズなんかも聞いていた。大音量で聞くので、そして本人は酔って寝てしまうので、たいへん迷惑なこともたびたびあった。
父は若いころ、ベートーベンが好きだった。月曜、父の休日、小学校から帰ってくると、家から100メートルくらい離れたところで、ベートーベンの交響曲が聞こえてくる。当時の家は木造で、たてつけも悪かったから、音が外に筒抜けなのだ。カール・ベームが好きだった。カール・ベーム指揮するところの交響曲を嬉しそうに聞いていた。交響曲を聞きながら母と戯れていたのを、覚えている。母はベートーベンやカール・ベームなどにこれっぽっちも興味がなかった。ただ、父が嬉しそうに笑っているから、母も嬉しかったのだ。
父の精神が悪化していくうちに、父はベートーベンをあまり聞かなくなった。
かわりにモーツァルトを聞くようになった。なぜかは分からない。一般に言われているようにモーツァルトの音楽が「優しい」からではない。なぜなら、父が好きなのはドン・ジョバンニのフィナーレやニ短調のピアノ協奏曲(それも第1楽章)だったからだ。
酔ってはよくわけの分からないことを言った。ドストエフスキーはなんで死んだのか知ってるか?それが、口癖だった。母はだから、読書する人間は狂人だと思っている。そんなに訳の分からないものばかり読んでいるから、おかしくなるんだよ、母はどなった。
死後、枕元に積んである本を見ると、精神医が読むような専門書、「フーコー入門」、川端康成、吉本隆明、『死に至る病』、『不安の概念』、、、あとは忘れた。
最後の入院の前夜、父はうめくようにぼくを呼んだ。苦しい、苦しい、父は酔っていなかった。ぼくの手を捕まえて、弱々しく握りしめ、言った。苦しい、睡眠薬を分けてくれ。皮膚は50代前半の人間のものではなく、老人のそれだった。手はあまりにもか細く、震えていた。なにか幻覚を見ているようだった。
薬を分けてくれ。
父はあまりに弱っていたので、医師から、もう睡眠薬を処方されなくなっていた。
だめだよ、おれのは強いから、飲んだら死んじゃうよ。明日、病院に行こう、それで、先生にいい薬を出してもらおう。薬がなくても眠れるよ。
ぼくはヘンデルのメサイアとバッハのバイオリン協奏曲のCDを持ってきた。
天国のように美しい音楽だよ。
そう言って、ラジカセで流した。
高田馬場のある喫茶店。喫茶店とはさいきんあまり言わないのかな。では、カフェ。
そこにいる。高田馬場は早稲田大学を筆頭にたくさん学校があるから、学生がたくさんいる。試験期間だからみんな勉強している。ぼくはこういうところで試験勉強をしたことがあったかな。どういうところで、どんな試験勉強をしたのか、あまり覚えていない。
よく記憶しているのは1年生のときの期末試験だ。革マルがストライキを起こした。すべての試験会場を封鎖して教員を中に入れない。みなヘルメットをかぶり、タオルを口にまいて顔を隠している。いろいろな大学や「プロの」運動家が応援に来ている。全会場を封鎖するには早稲田の革マル派だけじゃ足りない。
フランス革命、かくあらん(嘘)と、あちこちで紛争が起きる。紛争、闘争、逃走。
ぼくたちは教室の中で紛争を眺めていた。教室の入り口を運動家がロックしている。教員はどうにかして教室に入ろうとして、もみくちゃになっている。
学費値上げ反対!
学校当局は見逃しがたい不正を行っている!
粉砕!粉砕!労働者と手をともに闘争だ!
一人の太った学生運動家が教室に入ってきてビラを配った。
君たちは!君たちはどう思うんだ!
しかし、ぼくたちは学費値上げには反対だったけれども、当局の不正やユーゴスラビアについてとくにはっきりした観念があるわけではなかった。学費値上げ反対以外はなんのことだか分かりかねた。
ダークロがなんだかちゃかしたことを言った。その辺のことはダークロHPに詳しく書かれている。
ダークロはあやうく「吊るし上げ」にあうところだった。
あのころのダークロはまともなことを言うことの方が珍しく、いつもシェークスピアの道化のようによく意味の分からないことを口走っていた。しゃべっていたというよりもまさに何事かを口走る中身のない空虚な人間だった。いま思えば、あの空虚さは悩める若者の処世術であったのかもしれない。
しかし、こっちだって悩める若者だったから、その空虚さの裏に、なにかずっしりと重いものがあるのかもしれない、その可能性に気づくほどの余裕はなかった。
ぼくはたいていの時間を横関と過ごした。ぼくたちは毎日、面白いことを探し、しかし、見つからず、どこに行けば面白いことを味わえるのか考えていた。ぼくたちにモットーがあったとすれば、「書を捨て、町に出よ」だった。本を読み足りないこと、読書に限りない喜びがあること、したがって、本を読み、また賢くもなりたい。にもかかわらず、ぼくたちはもう本にはうんざりしていた。うんざりというよりかは、読書だけの生活は牢獄に閉じ込められているような閉塞感を伴うのだった。
だから、大空の下で、読書をしたい。ぼくたちにとっての大空はたいていの場合、女性を意味した。
しかしながら、大空ならぬ女性はまたいとも罪深い存在だった。特定の誰かが罪深いわけではない。女性という現象、女性という表象が罪深く、そして罪深い表象を抱くぼくたちも罪深かった。それで、ぼくたちはいかにして清くなれるのか考えた。こんなに苦しい毎日から逃れるにはどうしたらよいのか。寺に行くか。じっさい、横関は鎌倉の禅宗の寺に行った。一晩で逃げ帰ってきたけれど。あるいは、キリスト者になるか。
ぼくはキルケゴールを熱心に読み、キリスト者になれば救われるのではないかと真剣に考えていた。横関もまた真剣に考えていた。
くだんの太った男は叫んだ。
学費値上げ反対!
追記
上記の文章は馬場のカフェでW-ZERO3を使って書いた。パソコンでやるようにエディタで文章を作成し、コピペ。読み返してみると、ひどい文章だ。まあ、いつも駄文を書き連ねてはいるのだけれど、それにしてもひどい。全面的に書き直そうと思ったが、このままにすることにした。というのも、親指2本でキーボードを入力し、画面も3.7インチだと、こんな風になってしまう記録として残しておきたい。これからも、W-ZERO3で書いていくつもりなので、その変化の記録としたいからだ。
それに、上述した時期のことは、今後も折りにふれ、書くつもりでいる。まだ、未登場の愛すべき友人たちがいるし、大学時代のことを回想するにあたっては、N.Kのことを書かなくてはならない。
