›12 31, 2005

おおみそか

Posted by figaro;cellphone at 05:12 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 文字通り、あっという間に、おおみそか。30日はダイエーに買いものに行って、家でちゃんこ鍋を食べた。  29日はディズニーランドに行って来た。29日からほとんどの人たちが休みからかとても多くの人がいた。多くの人たちが思うだろうことをぼくも考えた。なんで、こんなに人がいるんだ。みんな物好きだな。こんな日に来るなんてばかげている。そう周囲の人々を非難するとすぐに論理的誤謬に陥っていることに気づいた。非難する資格はぼくにはないのだ。なぜなら、ぼくもまた、その場にいるのだから。  ディズニーランドにはキャラクターがときどき現れて、客と戯れたり、写真を撮ったりする。そういうことをとてもばかげたことだと考える人もたくさんいる。中には人間が入っている。人間がキャラクターに扮して、そのキャラクターと戯れて、いったいなにが楽しいのかと。そういった理由で、ディズニーランドを嫌いな人もいる。  確かに、ぼくも少し当惑した。従業員専用の出入り口に帰っていくキャラクターを熱烈に追いかけて、なごりおしそうに、いや、そんなものではない、今生の別れとも言うべき悲しさで別れる女性の集団を目撃したときに。ディズニーランドが嫌いではないぼくでさえも冷ややかな気分になった。  しばらく、園内を歩き回りながら、そのことについて考えていた。そのうち、すっかり否定的になってしまっていたぼくのこころもまた変化した。  そもそもわれわれのエンターテイメントはすべて架空のうえに成り立っている。映画、演劇、ドラマ、歌舞伎、オペラ等々。それら好む人々と彼女たちとはとりたてて、違いがないのではないのだろうか。  質の差、そういったことはあるかもしれない。  しかし、どちらにしても、それは小さな差異のように思われる(そんなにはっきりと考えたわけではないので、留保付きのまとめだけど)。



›12 26, 2005

時間

Posted by figaro;cellphone at 09:31 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 最近、つくづく思うのは、われわれの人生は、われわれのなしたいことに比して、極端に短いのではないのかということだ。 幼いころから、時間をまったく無駄にしなかったなら、そんなことは考えないかもしれない。 しかし、ぼくが目を通した限りの過去の人たちの生涯をみると、やはり最初に述べた命題はおおむね妥当するような気がする。 ぼくの場合、書物と音楽への好奇心が尽きることがなく、どう考えても、平均年齢を生きたとしても、それらに対し、もう十分だといいうる状態にはなりそうもないのだ。 それが人生というものなのかもしれない。 われわれの生命が有限だからこそ、われわれは人生を謳歌しうるのだとはよく言われることだ。 人生の切なさ。クリスマスイブの夜、仕事に疲れた目で、「ローマの休日」を見ていた。あの切ないエンディングはなんだろう。あれを切ないと思うかどうかも人によるだろうが、ぼくにはとても切なく感じられた。 恋人たちは結ばれない。 欲望を充足することができない、それが人生というものなのか。ぼくにはまだそこまでの達観を持てない。

›12 23, 2005

iBook G4

Posted by figaro;cellphone at 02:09 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 年末商戦にのっかた訳ではないんだけど、いや第三者から見れば十分のっかってるか、わが家にiBook G4がやってきました。写真の後ろに映っているiMac(初期型)がそろそろご臨終を迎えそうなので、やってきたのです。  なんと言っても安い。このスペックで119800円です。アマゾンで買ったので、1万円のギフト券ももらえます。  隣に映っているのがぼくが毎日使っているThinkPad X31。これが1年半くらい前に20万くらいしたからなー。  なんで、アップルはこんなに安いんだろう。一昔前、ITの世界ではだいぶ前ですが、マックはとても高価だった。  いつの間にこんな逆転現象が起きたのだろう。  それはともかく、ぼくがマックをメインに使っていたころは、まだOSの名前が漢字トークでした。隔世の感というか、まったく別物になってますね。ウィンドウズに飼いならされてしまったぼくには使い方がぴんときません。慣れの問題でしょうけど。  もう一つあるIBMのデスクトップはハードディスクがいかれてしまったようで、起動しません。CDから起動するリナックスでも買ってきて、使えるか試してみたいと思います。  W-ZERO3も購入したし、パソコンは4台あるし、一体何に使うのか?それは内緒です。  そういえば、職場で変なあだ名がつきました。  「すごいケータイ持ってる人(この03のことです)」  長いあだ名だ。。。

›12 19, 2005

ごあいさつ

Posted by figaro;cellphone at 00:45 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 今年ももう終わり。1年間のお礼のごあいさつに家元のお宅を訪れた。おたくといえば、このW-ZERO3を持つぼくの姿を見て、Tがしきりにぼくをヲタク呼ばわりする。  それはともかく家元の家に着くと、まず正座でごあいさつをし、お歳暮を差し出す。2時間ほど、お話しをした。  師匠は日本の古典芸能の行く末に対してとても悲観的だ。そろそろ、ぼくたちの世代がどうにかしなければならないです、と言うと、ではどうするんだ?と。そこでぼくは返答に窮してしまった。たしかに具体策はない。しかし、それでも、この現状をどうにかしないと、われわれの文化は本当に滅んでしまうだろう。  話しは早稲田のOBたちの愚行におよんだ。早稲田はバンカラというイメージがあるが、世間ではおじいさんと呼ばれる世代の一部がこの業界でひときわ目立つ行動をしている。いい意味で有名ならぼくとしてもありがたいが、悪い意味で有名なので、早稲田出身というと「あのグループの一員ですか?」というような視線を感じ、そのたびに弁解しなくてはならない。じっさい、ぼくはその人たちとまったく関わってないし。バンカラというか、筋を通さない、自分勝手なやくざみたいで、一連の行動を聞いて、ぼくは涙を流しながら笑っていた。  それがいいことか悪いことかは分からないが、伝統芸能の世界には封建的な部分がまだ多く残っている。ぼくと家元との関係は親子のようでもあり、主従の関係もはっきりしている。先生が白を黒といえば、ぼくも黒だと言う。  それは礼儀でもあり、また芸の伝承とはそのような関係においてこそ行われうる。心からの尊敬、敬服の念が芸を吸収するのだ。  くだんのOBは家元をつかまえて、恫喝的なことを言ったらしい。  先生が出かける時間になったので、一緒に車に乗って有楽町まで送ってもらった。  何も食べていなかったので、とてもお腹がすいていた。日曜、夕方6時過ぎの有楽町はすごい人ごみだ。少しゆっくりしたかったし、歩き回るのもとても寒いから嫌だったので、目の前にあるウェンディーズに入った。無線ランが使えるマックなどに行きたかったが、探す気もなかった。  久しぶりに入ったウェンディーズで馬鹿食いしたくなって、すごいものを頼んだ。トリプルとかいうやつ。その高さは、たばこの箱より少し小さいくらい。  食べていると、ハンバーガーを包んだ紙から、なにやら液体がたれていることに気付いた。肉汁か、トマトの液体か、よく分からないけど、なにかすごい臭いを発する液体がぽたぽたとたれている。  気付いたときにはもう手遅れだった。かわいいダッフルコートの袖もびしゃびしゃだし、なによりも首にストラップでぶら下げているW-ZERO3にぽたぽたぽた。。。。  いま、家でこれを書いているが、新品の03はかぐわしいハンバーガーの香りがする。

›12 17, 2005

忘年会

Posted by figaro;cellphone at 03:46 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 仕事の忘年会に行ってきました。このごろ、年を経るにつれ、自分と興味の方向が会わない人たちと話す機会がめっきり減ったので、というよりも減らしているので、こういう場で、職場で事務的な会話しかしない人たちとプライベートなことを話すのはかなり久しぶりでした。  自分で言うのはおこがましいというか、変なんですが、どうもぼくは目立つ存在らしく、忘年会が始まるとすぐにぼくへの質問攻め。だいたいぼくは実年齢よりもかなり若く見られるので、何歳なんですか?そして、だれかと違って本当の年齢を言うと、え〜!という反応。一人が社会経験あんまりないんですか?と聞いてくるので、そうですと応えると、ああ、社会に出ると一気におっさん顔になりますよねと。たしかに、そういう傾向はありますね。  あまり話すこともなくなったので、ひたすら飲んで食べる。飲んで食べる。  芸能ネタとかスポーツネタをあまり知らないし、学問か芸術の話ししか最近してないので、黙々と飲んで食べる。  ああ、仕事の忘年会ってこんなにつらいのね。  帰るに帰れず、そこがぼくの長所でもあり短所でもあるのだが、二次会のカラオケへ。カラオケなんて行ったのは何年ぶりだろうか。記憶にないほど過去のことだ。カラオケなんて行っても、日本の古典音楽と西洋の古典および現代音楽しか聞かないぼくには歌う曲なんてない。なぜか、「船弁慶」の歌いだしと「秘密の結婚」のテノールのアリアが頭の中で、くるくると回転しだした。  音割れするほどの大音量のカラオケを聞いていたら、我慢ができなくなった。その場にいるのが苦痛でしょうがなかった。  携帯に電話があるふりをして、抜け出した。一人が追ってきた。今日はお疲れさまでした。また、飲みましょう。  ひどい頭痛だったので、なんと答えたのかは覚えていない。  社会って厳しいね。

›12 15, 2005

W-ZERO3

Posted by figaro;cellphone at 22:23 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
 気が付いたら、また1カ月ほどブログを更新していなかった。ぼくだってなんだかんだと用事があり、いつもパソコンの前にいる訳ではない。  ケータイで更新することもできるけども、あのテンキーで文章を書くのはおそろしく億劫だ。  それでという訳ではないけれど、ウィルコムの新端末、W-ZERO3を買った。ネットや雑誌でずいぶん話題になったから、知っている人は知っていると思う。いまそれでこの文章を書いている。しかし、この「話題」とやらが曲者で、一部の人々は夜も眠れずに発売日を心待ちし、一方ではその存在すら知らない人々がほとんどだと思う。  このような極端な形での興味の分散がわれわれの時代の特徴と言われている。  確かに最近、分析哲学の勉強をしているのだが、その分野では当たり前のことがぼくには必ずしも自明ではない。  しかし、この例はあまりよくないな。というのも、いつの時代でも学術的なことは一般的には自明でないのだから。  とくに書きたいことがあって文章を書いているのではないので、脈絡がなくてすいません。実をいうと、このW-ZERO3のキーボードに慣れるためになにか書いているだけなので。  で、これにはパソコンと同じ配列のキーボードが付いている。左右の親指を使って文字を入力する。まるで、ファミコンのコントローラーを操るように。  そのファミコン世代の一部がこの新しいケータイに夢中になっている。なんでもできる!なんでもできる!って。