赤いテーブル。だいたい30cm×45cmくらいの大きさだろうか。横浜の大中で買ってきた。
部屋の照明は暗い。100ワットの電球が二つ。実際は100ワットの明るさの27ワットの蛍光灯なのだが。電気代が安いからかこのごろこういうタイプの電球をよく見かける。
合計200ワットの明るさの部屋で本を読んでいると目が疲れる。目が悪くなったような気がする。
と言っても、最近それほど本を読む訳ではない。良くない傾向だ。書くとは引用することだから。
テーブルはそこで食事ができるように買った。Tと私はよく畳の上に新聞紙を広げて、そこで食事をした。

前方に月が見える。車をいくら走らせても、月は遠く、同じ位置にある。
子供の頃、月が怖かった。父が運転する車に乗っている。月を見付ける。月はまるで「だれかの」目のようであった。月に見られるのが怖かった。なにもかも見透かしてしまうようなその瞳がいやだった。月が追いかけてくるよと、父に訴えた。逃げないと捕まってしまう。父は笑っていた。家に着くと、窓の外にはまだ月がいて、私を見張っていた。月に見られないように、母にカーテンを閉めてもらった。
時には、月がどのように私を見張るのか、どのようにして私から離れようとしないのかを探るために、屋根に登った。当時のわが家は、二階部分が一階の半分ほどの広さしかなく、半分は屋根だった。それで、二階の窓を開けると、屋根があり、容易に屋根に登ることができた。
その屋根を道路と反対側に行くと、柿の木があった。よその家の木だが、秋になるとよく、妹と柿を取りに行った。そういった共犯関係は私たちを親密にした。しかし、妹はいまだにそんなことを憶えているだろうか。
さて、月を偵察するには、屋根を道路側に進む。道路側には、敷居というか、壁のようなものがあり(わが家は酒屋を営んでおり、建物を四角く見せるための、舞台で使われるようなハリボテがあった。いまでも古い商家はこのような造りである)、そこに隠れることができる。
月に見付からないように、壁から少しだけ頭を出す、あたかも兵士のように。そう、まさに兵士のように、私は月と戦っていた。
私はかのじょのことを思い出した。久しく会っていないあの人は元気でいるのだろうか。そもそも、かのじょはほんとうに存在したのか。かのじょの幻影が私について回るのは、月が私について回るのと同じように、私の狂気のなせる技なのではないのか。
狂人には自らの狂気が分からない。
だれかが言っていた。だとしたら、かのじょもほんとうは最初からどこにもいなかったのかもしれない。かのじょにまつわるあらゆる記憶は、記憶が精神にのみ依存するその特性から、私の心の内にのみあるのかもしれない。もう、誰ともかのじょのことを話さないし、もちろん、かのじょと会ったこともないし、話したこともない。かのじょは死んでしまったのではないのか、あるいはかのじょは最初から死んでいたのではないのか、その考えが私の脳裏に浮かんだとき、私は身震いし、吐き気を催した。
車を運転していた。前方に月が見える。車をいくら走らせても、月は遠く、同じ位置にある。