›6 25, 2005

アイスロイヤルミルクティー

Posted by figaro;cellphone at 19:30 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
たまに来るドトールにいる。ここの営業時間はどうなっているのだろう。この時間になるとさーっと人がいなくなる。横には女性が二人いて、なにか楽しげに話している。ぼくはここに来ると本を読むのだか、どういう訳かバルトがカフェで新聞を読むようにさまにならない。バルトは行きつけのカフェで新聞を読み、挨拶をかわし、男を探す。ぼくはタバコをくわえ、本を読み、耳を立てる。後ろには男が二人、明日の試験のことを話している。一人が一人に問題の解説をしているのだが、聞いているほうはさっぱり納得いかないようで、うなだれて黙っている。お節介という感じでもなさそうで、惰性で聞いているようで、なんとなく人生にうなだれているようにも見えるが、なにごとも一般化は危険だ。いや、いいんだ、どうせぼくには分からないからというその態度には何回か接したことがある。あるいはぼくじしんがそうなのかもしれないが。塾の講師をしている頃、そういう中学生がいた。分からないときはなにが分からないかも分からない。そうして、アイスロイヤルミルクティーを飲みながら、なぜぼくがバルトとこうも違って、かっこよくないのか、ちっとも分からない。

文章

Posted by figaro at 01:56 / Category: 日記 / 2 Comments / 0 TrackBack

 文には流れというかある定型があってそれに逆らってなにかを書こうとすることは難しい。たとえば、「きょうは」と書けば、「いいてんきだ」や「ごきげんいかが」や「大安だ」などと続き、「冷蔵庫だ」や「ゴキブリだ」や「一年だ」などとは続かない。つまり、「きょうは」と書いた時点で、その後に続く言葉は制約される。
 ぼくはそういう風に制約されるのが嫌で、なるべく違った風に書こうとする。どこかで見かけた文だけで文章が構成されているのが、なんだか嫌なのだ。これはぼくの文章力、もっと言えば、思考が欠如しているのと関係している。ユニークな思考があれば、平易でどこかで見かけたことのある文だけで文章を書いても、全体としてはユニークなものになる。ぼくの場合、全体としてユニークなものがないので、細部にこだわり、文がなるべく定型にはまらないように苦心する。
 ここでは「ユニークでなくてはならない」ということが前提となっている。つまり、誰とも違うぼくというものがいて、その誰とも違うぼくが書くものは誰もが書かないようなことを書く(べきだ)と。
 はたしてぼくはそれほど独自の存在だろうか、ということを、いま考えていたのだけれども、おそらくぼくが思っているほどには独自でなく(平凡であり)、他人が思っているほどには平凡ではない(独自)だろう。しかし、このことはおそらく、誰にでも当てはまるので、結局ぼくは平凡だということになる。
 とりあえず、そんな問題はおいておくとして、ある時、キビさんからこう言われた。この前、ダークロたちと横浜で飲んだときのことを、ぼくはここで「相変わらず盛り上がらなかった」というように書いた。盛り上がらなかったことはないんじゃないの、と言われた。たしかに、誰もがつまらなそうな顔をして、いまにもカバンの中にある本を手にしそうになるほど、盛り下がっていたわけではない。なぜそんな風に書いたのかというと、先日飲み会がありました。相変わらず、ここまで書いたときに、浮かんできた言葉が、実際の出来事とは関係なく、「盛況でした」という言葉だった。たいてい、そうやって書くものだ。でも、はたして、あの飲み会は盛況だったのかというと、そうでもない。それで、たんに文の定型に反対するという理由だけで、「盛り上がらなかった」と書いた。
 しかし、まあ、たんなる反対も結局は定型にとらわれているだけだ。

›6 18, 2005

プント・オイル交換の巻2

Posted by figaro at 00:59 / Category: punto・selecta / 1045 Comments / 0 TrackBack

 時間がないのでとりあえずメモとして。
 わがプント・セレクタのオイルを交換した。最近あまり乗っていないんだけど、どうも調子が悪かった。エンジンの音が変。なんか無理して走っているような感じ。前回のオイル交換から6000キロ以上走っているからなのか。それに燃費も悪い。
 恒例のごとく、イエローハットへ。前回どんなオイルと交換したのか、さっぱり忘れていたので、店員と相談。車種を聞かれて、フィアットのプントですと答えるが、どうも知らないようで、国産車の適合表を一生懸命になって探している。外車なんですが、と言うと、あわてて外国車の適合表を手にする。しかし、いつまでたっても見つからない。プントどころか、フィアットというメーカーを知らないらしい。たしかに、マイナーなメーカーではあるが、店員が知らないのには少し驚愕とともに落胆。
 仕方なしにぼくが適合表を手にし、これだと指示する。店員は「外車=高級車」という先入観があるらしく、ベンツに乗っている人はこのオイルしか使わないんですよ、ヤナセでも推奨していますよと、高価なオイルを勧めてくる。心の中で、プントは大衆車なんだがと思いつつ、そんないいのは要りませんよ、と言うと、じゃあ、これはどうですか、まあ確かめてくださいよ、これすごくいいんです、走りがぜんぜん違いますよ、いまセール中ですし、と言われたカストロールのオイルにすることにした。
 いま前回自分で書いたオイル交換の箇所を読むと、この前より2倍も高いじゃないか。たしかに走りはいいが消耗品ということを考えると、無駄な出費だった。お金ないのに。
 (今回の交換時の走行距離、61,000キロ強。ということは、この一年で一万キロ弱走ったのか。突然壊れないでね。)

›6 17, 2005

猫と従兄弟と父

Posted by figaro;cellphone at 19:32 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
16才のころ、従兄弟が事故で死んだ。おじとおばは激しく泣き、激しく悲しんだ。あまりに悲しく、あまりにはげしい喪失感からその家族は新興宗教にはまった。おばには霊感なるものがあるらしく、仏壇の前でお経を唱えると、合わせた手が震え、あの世から亡くなった人が降りてくる。いわゆる降霊というやつだが、なにかにとりつかれている感じだ。それでいろいろなことをしゃべる。内容はたいてい不平不満や、もっとしっかり供養しろとか。しかし、ぼくはそういったことを信じないので、その姿は哀れとしか言いようがなく、なるべく付き合わないようにしている。幸い、父が死んでからほとんど交流がない。話が脱線してしまったが、ぼくの書きたかったのは、ダークロの言う猫の死のことだ。あれから一月ほど経ったが、猫の不在感というのはそれほどない。不在感がないというのは少し変な表現だ。むしろ、悲しみは一瞬にして過ぎ去ったとでも言うべきか。おじとおばに見たあの不在感の重さ、消えることのない傷を負わされたかのごとき、とわが家の軽やかさ、淡々と続く日々。父の死と従兄弟の死。いったいどこが違うのか。

›6 16, 2005

中村真一郎

Posted by figaro;cellphone at 03:06 / Category: 携帯電話からの投稿 / 0 Comments / 0 TrackBack
更新おくれてすいません。現実社会は楽しいことばかりじゃないんだけど。最近ネットをあまりしない、パソコンすらあまり起動させない。そういう事もあって更新してなかった。こうやって携帯で更新することもできるけど、携帯のテンキーを使って文字を打つのはおそろしく苦痛なのだよ。 この頃なぜか中村真一郎のことを思い出す。あるコンサートの休憩時間、込み合ったロビーに風変わりな老人がいた。わりと背が高く、不安気にまわりをきょろきょろ見渡している。それは誰かを探しているようだったが、おそらくそうではないだろうと思った。どこかで見たことのある顔だなと思ってから、その人が中村真一郎だと気付くまでそう時間はかからなかった。 あれほど不安気に、あたかも人々が怖いとばかりの態度、つまり自分は感受性のかたまりであると態度で示すのはやはり中村真一郎以外にはいないだろう、と。 そんな推測を裏付けるように小綺麗な中年の女性がかの老人に近付き、中村真一郎の名を呼んだ。 なぜか分からないがこの頃、あの不安気でいて尊大な中村真一郎を思い出す。 (ちなみに今はあまり読まれていないようですね。)