舞台中央にベッド。ベッドにのみライトが当たる。一組の男女が寝ている。
情事のあとである。けだるい雰囲気。
男は言う・思う。 「君はぼくだろうか、ぼくはぼくだろうか?」
女は言う・思う。 「あなたは私だろうか、私は私だろうか?」
パイプオルガンの音。無調音階、なつかしいような居心地の悪いような音楽。
男は立ち上がる。女は立ち上がる。
彼らは音楽に合わせ・あるいは無視して、おどる。それは18世紀の音楽、あるいは19世紀のワルツを踊るかのように、あるいはさきほどのセックスを連想させるかのように。
男は言う。 「かつてぼくは君だったろうか?」
女は言う。 「かつて私はあなただったろうか?」
照明が落ちる。そして、明るい吹奏楽が流れる。二人は、陽気に踊り出す。照明が舞台すべてを照らす。赤、青、等々・・・・・。
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これはぼくがたぶん7,8年前に書いたものだ。黄色い一枚のルーズリーフになぶり書きしてある。裏面には"no stagment emotion"と筆記体で2回書いてある。意味は分からない。その下には、「主体と主体との真の関わり合い」と書いてある。主体、関わり合いなどという言葉からして、当時受講していた実存主義哲学に関してのことだと思う。上記に書いた短い劇は授業中に思いついたという記憶がある。これを同級生のIさんと、Eに見せたところ、二人から酷評をもらった。
・N.Kが迷惑電話で困っており、その事をブログかなにかに書いていると横関から聞き、パソコンを立ち上げて検索をした。そこで、目が覚めた。
・病気といってもぼくのばあい、どこが具合が悪いのか自分でもよく分からないので、病気である(と医師から言われている)ことを人に話すことは滅多にない。あまり、というか、まったく覚えていないのだが、以前は病気であることを必死に訴えていたようで、それが人に不快感を与えたらしい。それもあってぼくはN.Kから嫌われたのだが、まったく当然だと思う。しかし、治療途中で病院に行かなくなってしまった腎臓のほうは、左の腎臓がたまに痛む。腎臓が痛むというのは正確ではなく、というのも腎臓には感覚がないらしい、左のわき腹が疲れているときなどに痛む。
・冬。この時期になると、必ず「浄められた夜」という詩を思い出す。
・この前落ち込んでいたのは先生から「おまえ、白い革靴なんて履いてキザだな」と言われたからではない。
・家から歩いて5分くらいのところに、個人経営のカラオケボックスがある。何年前からあるのか分からない店構えで、汚い。でも、近辺にカラオケボックスはここしかないので混んでいる。以前、そこにAと行った。部屋の中は場末のスナックのような調度品でととのえられている。Aはジャイアンのように一人で歌っていた。ぼくはといえば、ぼくはカラオケにあるような曲をほとんど知らない。このような無知は恥ずかしいことなのか、さっき歯をみがきながら考えた。Aはたくさん歌えて、満足そうにほほえんでいた。
・たまにヨドバシに行く。カメラコーナーを見る。いつの間にかカメラコーナーの多くの面積をデジタルカメラが占めていた。銀塩カメラは申し訳程度に置いてあるようだ。その事実に気付いたとき、隔世の感を覚えた。そんな状況で、コシナはよくもベッサシリーズを売り出したなー、えらいなーと思う。ぼくの持っているBESSA-Rはすでに生産中止になっている。いまでは後継機種のBESSA-R2Aなどを売っている。BESSA-RはLマウントといわれるレンズを使える。ライカがM3を発売する前に採用していた規格で、当時カメラを生産する国のほとんどでその規格のレンズを作った。もちろん日本でも。かのソ連も大量に作った。ぼくはBESSA-Rにソ連製では上等のJUPITER-3というレンズを装着している。FED50/3.5という見た目はエルマー(昔のライカの標準レンズ)そっくりの沈胴式レンズがあるので、いつかそれで撮影してみようと前々から思っているが、そのレンズがどこにあるのか見つからない。下の写真はそのBESSA-RとJUPITER-3で撮影したプント。金属の質感が異様だ。

○スパムコメントを送ってくる海外の業者はついに新しいソフトウェアを開発したようで、ものすごい数のスパムトラックバックをうってくる。この数日間で200近いトラックバックを受け付けた。二つの意味で迷惑だ。まず、それだけレンタルサーバーの容量を食う。それから、トラックバックを受けると、サイトが再構築され、古い投稿記事が消えていくので、更新を怠りがちなぼくとしては、ページを真っ白にしないために何でもいいから書かなくてはならない。
○駅にあるスーパーで買い物をした。目的があって行ったわけではないんだけど、食品売り場にあるいろいろなものを見ていて、クリームシチューを作ることになった。出来合いのルーのどれにするか、悩む。パッケージを見ているだけでは、もちろん味はわからないので、その謳い文句から想像するしかない。どうする?どうしようか?特価品のものにしようとしたところ、きのこのクリームシチューというのに目がとまった。ボルチーニ茸の香りとある。ぼくとTはボルチーニ茸が大好きなので、それにすることに決めた。パッケージの後ろにある材料を参考に食品をかごの中に入れていく。クリームシチューには鶏肉が合うということで、肉売り場に。いろいろ種類があるが、安いむね肉をかごに。それから、生鮮売り場でジャガイモ、エノキ、エリンギ、電話で確認すると、タマネギは家にあるというので、かごに入れす、飲料水売り場で生茶、三ツ矢サイダー、ジンロをかごに入れる。
このスーパーから家に帰るには道が二つある。ひとつは昔からある小さく雑多な商店街を抜けていく。もうひとつは最近できた道で、駅のロータリーを通っていく。どちらから帰っても時間はたいして変わらない(3分ほど)のだが、ぼくはロータリーを通っていく方が好きだ。駅の商店街を抜けていくルートは家の間近で暗く、細い道を通らなければならない。ぼくはあの道があまり好きではないのだ。しかし、Tはつかつかと、商店街を抜ける方へと歩いていく。反抗するでもなく、ついて行く。
その暗く細い道にハンチング帽を深くかぶった初老の男性が立っていた。荷物をちょうど肩の辺りにあるコンクリートの壁に置いて。彼は外灯のしたに立っているので、まるで舞台の上の俳優のようだ。慣れた手つきでジャンパーから煙草を出し、口にくわえる。100円ライターで火を付ける。何気ない、ありふれた光景だった。ふと、壁の上に置かれた荷物を見た。それはかつては純白であっただろう白い布でしっかりと包まれたお骨だった。その固く結ばれた結び目にぼくはしばらく目をとらわれた。

