

これは西塔の傍らに住まいする武蔵坊弁慶にて候、さてもわが君判官殿は、
人間よりも百倍の思い重なる胸の内
凄まじき海上の嵐
嵐そこそこ静まる
悲壮の調を帯びたる舟唄遠くより聞こゆ
唄 鳥も通わぬ八丈が島へ。通ふわが身は厭はねど。あとに残りし、かかや子は。どうして月日を送るやら。
嵐まったく収まる
歓喜の調を帯びたる舟唄ちかく聞こゆ
吉原の里は闇無き喜見城。
せりふ げに世の中は不思議なものぢゃ。父は巨万の富を作り、われは巨万の富を消す。
紀文の名さえ残るなら、本望ぢゃ満足ぢゃと。父がいまはの教えごと。
唄 所詮浮世は夢ぢゃもの。恋も無情もあるものか。
いや恋ゆゑにこの苦労。傾城に誠なしとはてんがうな。そりや訳知りの言わぬこと。まことも嘘も本ひとつ。
しんぞ命とこっちから。尽くす誠はくみもせで。逢瀬はかなきたなばたの。雨に波立つ天の川。通ひ路絶えておのづから、余所へ根引きの身となりもせば、かけし誓ひも嘘となる。
せりふ 縁のあるのが誠でござんす
されば我らも不即不離。きのふも一蝶が唄ふ小唄に、はて何とやら。
構成要件要素における行為態様の記述の意義によって、被害者の同意が構成要件該当性阻却事由となる場合と、違法阻却事由となる場合があるという区別は、妥当なものであろうか。構成要件が保護しているのは、法益であって行為客体ではない。行為客体は、行為の具体的な客体であるから、人や物であるが、法益は生命や身体の完全性といった理念的な財である。法益の侵害は、具体的な行為客体の侵害を通して実現される。
沈黙するダークロ。恋する忘却王。背理だ。ところで、この日記を書くとき、性的なものをどう扱うべきか、いつも考える。性的な事柄に言及すべきなのか、あるいは沈黙するのか、あるいはお茶を濁すか。ぼくの経験を語るとき、多くの事柄の中に、とうぜん性的なものもある。そういった事柄をいかに扱うべきか、いつも迷う。
迷ったあげく、一回も、そうした事柄にはふれていない。つい最近、部屋の掃除をしていたら、ぼくが21,2の頃に書いた小説が出てきた。読むに耐えないものだったが、その中には性的な描写があった。たいした内容でもないのだが、いまのぼくには露骨で、なにか痛々しかった。性になにかしらの救済を求めるという、ぼくのスタンスは変わっていなかった。
目の前に薬がある。なんの薬だろう。よくわからない。机の上。小さい、白い薬。なんの薬だろう。わからない。飲んでみたい気もする。飲んだらなにか変わりそうな気もする。
ギャンブル好きな俳人は言った。インターネットのやりすぎで岩窟王。そのほかにもラ・ミゼラブルだとか罪と罰だとかユリシーズだとかわめいていたが、どういった文脈で、どのような手法を持って世界の文学を当人の心的状態のたとえとしているのか、皆目見当がつかなかったので、忘れてしまった。なにやらいろいろとものを書いて2年で100万円貯めたという。エッセイだとかモニター報告だとか俳句だとか幕末の志士への思いを込めたクロスワードパズルだとか。
かの俳人はその前から書くことが好きだった。若い頃、真田広之を愛してしまい、あまりに好きなので、三日三晩眠れなかった。恋しくて恋しくて、彼以外のことを考えられなかった。椀久のようなものだ。そうしてその恋慕を原稿用紙に向かって綴り始めた。ファンレターを書こうというのだ。ふつうは原稿用紙にファンレターを書かない。かわいい便せんかなにかに書くのではないかと思う。俳人は机に座り原稿用紙にファンレターを一気呵成に書き上げた。枚数にして50枚。そこで本人もなにかおかしいと思ったらしい。これを送りつけてもどうせ捨てられるだけだ。それなら文学界新人賞に応募しよう。大きな封筒に文学界新人賞担当係と宛名を書くと胸のつかえが取れた。それから真田広之のことはすっかり忘れてしまった。ついでに恋するこころも忘れた。
さて、俳人は文筆稼業で稼いだ100万を元手に株を始めた。とりあえず買ったさくら銀行の株が3倍、つまり300万になったわけだった。いまはライブドアの株を狙っている。これからはITの時代だと思っている。
パチンコが好きだ。よく行くのは池袋や駒込。たまに足立区まで遠征する。あの雑踏がたまらない。うるさくて、思考が停止しそうなのに、活発になったりする。打ちながらメモをとる。たまにいい言葉が浮かぶ。いい言葉が浮かないときもメモをとる。300回転で当たったとか。それにあの音楽に洗脳される自分の意識の変移がたまらない。あの音楽に乗ってわたしはお札をどんどんつぎ込む。一番負けたのは一日に13万。派遣OLの仕事が終わると自然と足がパチンコ屋に向かう。やっと手にした職。でももう辞めようと思っている。パソコン出来ないから。面接の時、エクセル出来ますか?と聞かれた。エクレアですか?おいしいですよね、と答えた。パチンコ屋にはひとつ言いたいことがある。「パチンコ」という名称は品がないからやめて欲しい。これからどうするのと尋ねられたとき、パチンコに行くと答えるのは何とも間抜けでいやだ。もっと品のある、美的な名前がいい。たとえば、「エカテリーナ」とか「ボローニャの森」とか。これからエカテリーナに行くの、と言えば、なんだか気分もいい。
かの俳人に俳句を教えてくれと頼んだ。とっておきなのをまずひとつ。いわく、
遠花火 少女まんがの 恋終わる
これが某新聞に載って1万円に拝謁したそうだ。他にも教えてくれと言ったが、本にしてもうけるからその前に手あかが付くと困るのでだめだと言われた。
知人がキリスト教徒になった。なぜ日本にはアメリカからやってきた牧師が多いのか少し気になった。なぜほかの国ではなくアメリカからなのか。
キルケゴールの死に至る病について話した。生きていることは絶望していることである、絶望していることは罪である。絶望から逃れるには真のキリスト者になるほかはない。
そしてドストエフスキーについて話した。
またプロテスタントであったバッハについても話した。バッハの音楽があれほどストイックなのはバッハが熱心なキリスト教徒であることと関係しているだろうと言った。
ふと教会に行ってみようかと思った。前々から教会には行ってみたかった。横関とよく話していた。キリスト教徒になるしかないのかな?
でも、ぼくは神の存在を信じるわけにはいかないので、また、信じるということができそうもないので、とてもキリスト者にはなれないだろう。
育英会から督促状がきた。ずっとほっておいたので、さすがにまずいと思い、いや、本当にこういった事柄は気が重くなる、さすがにまずいと思い、手紙を書いた。あまりに混乱した手紙だったためか、向こう様からは音沙汰がない。
キリスト教について思いを巡らす一方、ダークロと猥雑なことを話していた。チョコボール向井のことに関して。
「これでも今になるかも知れん、軽蔑するな。貴様なぞは知るまいが昔しアイソクラチスと云う人は九十四歳で大著述をした。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢だった。シモニジスは八十で妙詩を作った。おれだって……」「馬鹿馬鹿しいわ、あなたのような胃病でそんなに永く生きられるものですか」
『吾輩は猫である』より

「ほかの道楽はないですが、無暗に読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計らって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜って大変困りました」
夏目漱石『吾輩は猫である』より
石橋を叩いて渡るわたくしですが昨日は思いの外寒かったので早起きは三文の得とばかりに早起きしませんでしたが、小の虫を殺して大の虫を助けるとばかりに、行き掛けの駄賃を稼ごうと割れ鍋に綴じ蓋をし、ここぞとばかりに、大は小を兼ねると大便し、火のない所に煙は立たぬ、正体見たりと妻をなじった。妻は言った。あなたがWANWANしてるからわたしはLANしてるの、ベンチマークだってしてるのよ、いいかげんにCRM。顧客管理はわたしに任せて。リソース管理だって(ソフトウェアやシステムの動作に必要な資源)してるのよ。わたくしは物は相談、餅は餅屋と陸に上がった河童のように降参した。
今日は早起きした。母が作った牛丼を大盛りで2杯も食べ、おなかがはち切れそうだ。その後寝っ転がって本を読む。最近たばこの吸いすぎで歯が黄色くなってきた気がするので、ザクトでようく磨く。昨日は5回くらい歯磨きしたので歯ぐきが痛い。
輸入物のお菓子とかコーヒーを置いてある店で買ってきた紅茶を飲む。アメリカのLiptonのティーバッグ。100袋入っていて400円くらいだった。香りがないし、味が薄くてまずい。爽やかな紅茶!あなたの生活を明るくするらくらく習慣!Liptonの紅茶には血圧降下作用があります、知ってましたか?
風呂の扉が壊れた。閉まらない。おかげで今朝、母のヌードを見るところだった。


昨夜寝る前にふと気になった。「確信犯」のことで調べて知ったが、ネット上で間違いやすい言葉がいろいろと取りざたされている。その中に「恋人」という言葉はあったかな。朝ご飯を食べ、顔を洗い、着替え終わり、調べることにした。なにを着ようかとごさごさと探していると薄手のしましまのズボンを見つけた。冬は寒いから全くはいていなかった。久しぶりに身に付けるときつい。おなかが苦しいし、もももぱんぱんだ。ちきしょう、とひとりごちた。
さて問題の「恋人」であるが、手元にある『新明解国語辞典』には以下のように書いてある。
「恋人 その人の恋している相手。『永遠の恋人〈その人にとって理想像としての異性〉』」
そこで「恋」とは何かが気になるが以下。
「恋 1.特定の異性に深い愛情を抱き、その存在を身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくない一方、破局をおそれての不安を焦燥に駆られる心的状態。2.(略)」
ここでは関係ないが、「恋愛」については次のように書いてある。
「恋愛 特定の異性に特別の感情を抱き、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと。」
すばらしい辞典だ。ロラン・バルトも顔負け。
ところで「恋人」だが、あまり使わないけど、使うとしたら、「その人の交際している相手」という意味に使わないかな。そうすると、上述の定義より狭い意味になる。
昔の小説を読むと、ぼくの憶えているかぎり、スタンダールのほとんどの小説と『ウェルテル』の日本語訳では、「恋人」という言葉は『新明解国語辞典』の用法で使われている。それらの小説で「恋人」という言葉に出会うとなんだか違和感を感じる。「恋人」という言葉の意味は変遷しているようだ。現に大辞林によると恋人は「恋しく思う人。相思の間柄にある、相手方。」とある。
間違いやすい言葉を検索すると、ずいぶん目くじらを立てて検閲しているようだけど、上記のように言葉は変遷する。
WindowsXPより安定。不安定Windows98フリーズ対策 PC安定化-リソース不足-不安定-解消Windows98・IEフリーズ原因解決-安定化。WindowsXPフリーズ-不安定?
ぼくにはわからないんだけど、すごいんだって。
以前ダークロにきみは分裂していると言われた。分裂!たしかに、そうだ。分裂している。精神分裂症という用語が分裂という言葉を比喩として用いているのに対し、ぼくの場合は文字通り分裂している。現在と過去に。
久しぶりに横関に電話した。家の電話は壊れているそうでたいてい出ない。もしかしたら出るかもしれないと電話してみたが、料金未払いで止まっていた。合コンのやりすぎか本の買いすぎなんだと思う。あるいは単に払うのが億劫なのか。
ひとりぐらしはお金がかかる。電話代とかガス代などを払のは億劫だし、なんだか払うのがばからしく思える。そうしてぼくもよく止められた。止められるのにはだいだい順番がある。
1.電話
2.ガス
3.電気
4.水道
ぼくは2まではよくいった。水道まで止められたことはない。水道が止められて致命的なのは炊事や入浴ではなく、トイレが使えないということだ。水洗トイレの場合、水道を止められると流すことが出来ない。昔風の落ち込むトイレだと水道が止められてもさほど問題はないと思うけど。
いまは知らないが横関も電気まではよく止められていた。暗い部屋にろうそくをともして入った記憶がある。かれの部屋は汚い。ぼくの部屋も汚いのでどんぐりの背比べだが、かれの部屋は大変汚い。ゴミと本と洋服であふれかえっている。だがかれなりに整理されているらしく、ろうそくで前を確認しながら、そこを踏むなとか、あっち行けとかいろいろと指示をされた。電気がついているときでもかれはうるさい。どうせ部屋中ゴミだらけだからとビールの空き缶などをその辺に置くと、おまえはほんとにだらしないななどと言って、どこに置くのか指示をする。ぼくにはそこに置くのとあそこに置くのとどう違いがあるのかよくわからないがかれの指示通りゴミを置く。
かれはたいへんな読書家だ。かれが知らない本はこの世の中にないのではないかというくらい本についての知識を持っているし、また読んでいる。かれだってJAVAやC言語の本だとかADSLtips集だとか川島武宜の『所有権法の理論』だとか『和声 理論と実習』だとか知らない本もあるだろう。そんなことは書くまでもないことだが。かれの守備範囲は「文学部で扱うもの」だ。文学部で扱うものなら、小説から詩集から哲学書から週刊誌からまんがからとなんでも知っているんじゃないか。いったいどこから情報を収集してくるのか不思議だった。いまならインターネットで簡単に情報が入るかもしれないけど、インターネットがそんなに普及していない頃でもかれに本のことを尋ねると、なにかしらの情報を得ることが出来た。ゴミの収集術ならぼくもひけをとらないが。
盲目の理髪師
おもしろそう。
「確信犯」て言葉の誤用の代表のひとつらしい。しかし、http://www.itmedia.co.jp/news/0105/14/accs.htmlのような記事を読むと、誤用とも思えない。近いうち国語辞典にも後者のような用法が載るんじゃないかな。
確信犯の問題については感慨深い思い出がある。ぼくがいまあるのは一冊の本を読んだからだった。団藤重光博士は『刑法綱要総論』で刑法上、責任が認められるためには「期待可能性」が必要だと説いたあと次のように述べている。
「第三に確信犯人は、つねに期待可能性がないことになる、とされる。しかし、かれを行為に駆り立てるのは、付随事情や人格的能力の弱さではなくて、かれの世界観--それが社会性を持つにせよ--である。したがって、それは、実は、期待可能性の問題ではない。それは『義務の衝突』の一種のばあいであるが、法的義務と超法的な義務ともいうべきものとの相克、法的価値といわば超法的価値との相克である。かれの世界観が法によって是認されないかぎり、かれは法による非難を免れない。かれみずからも、茨の冠を覚悟の上で行動する--しなけれならない--のである。確信犯人は法秩序の内部では救済されない。」(団藤重光『刑法綱要総論』第三版330頁)
また、法と道徳との関連性について説いたあと次のように述べている。
「第五に、右のことは、法と道徳との間にラートブルッフのいわゆる『悲劇的な葛藤』の可能性のあることをも、含蓄している。かれの指摘するとおり、法の規則的性格、道徳の確信的性格から現れる確信犯人は、そうした法・道徳の悲劇的葛藤の典型のひとつである。もし、その犯人のいだいている信条が将来、法によって是認されるにいたったあかつきには、かれは先見の明を持った英雄であったことになり、かれは自己を犠牲にして法の発展に寄与したことになるが、しかし、現時点においては、かれの行為はどこまでも犯罪である。犯人は自己の道徳的義務にしたがって反抗を敢えてし、裁判官は法的義務にしたがって--場合によっては涙をのみながら--犯人を処罰しなければならない。ラートブルッフが『悲劇的』というのは、そこに法・道徳のそれぞれの本質に根ざす根源的な葛藤を見出すからである。」(団藤重光『法学の基礎』39頁)
人文書院版『フロイト著作集』総目次
知ってたひとも多いと思うけど念のため。
Yahoo!
二日ぶりにシャワーに入った。頭がかゆいし、体も汗くさかった。最近からだがじっとりとするような気がするのは思い過ごしだろうか。気候のせいか、年齢のせいか。昼間は天気がよかったのに雨が降っている。ぼくは雨が嫌いだ。子供の頃は嫌いではなかった。雨が降れば降るで楽しいこともあった。この時期雨が降るとカエルがたくさん出る。どこからともなく出てくる。晴れているときカエルはどこにいたのだろう。不思議だった。小さい、爪くらいの大きさの緑色をしたカエルがいる。ぼくはそのカエルが好きだった。よく捕まえて、連れて帰った。逃げないように拳を作りその中にカエルを入れていく。カエルはすっかり乾燥してしまい、体力を失う。家に着くとぼくはカエルのことなんて忘れてしまう。カエルはたいてい死んでいた。
シャワーを出るとぼくは自分を鏡に見た。爽やかな笑顔を浮かべている。ぼくではないようだ。ぼくはちっとも笑ってなんかいない。泣いてもいないし笑ってもいないし、泣きたいわけでもなく笑いたいわけでもない。何かをしたいわけでもないのに何かしそうな顔をしている。ぼくは自分の顔をじっと眺めた。ひげが伸びている。剃ろうと思ったがやめた。眉毛をそろえようと思ったがやめた。歯を磨いた。たばこの味が歯磨き粉に混ざって独特の味がする。電気の消えた台所に行き冷蔵庫からジャスミン茶を取り出しコップに注ぎ飲んだ。時計を見た。もう2時頃かと思ったがまだ12時をまわっただけだった。
シャワーを浴びている最中ぼくは何事かを考えていた。考えるということは言葉を発するということだ。だから考えるということは独り言である。あいかわらずぼくは来し方のことに思いを巡らせていた。ぼくのこころの志向は過去を向いている。時間の座標軸がずれている。これはつい最近気づいたことだ。
部屋に戻ると薬を飲んだ。今日は眠れそうもないので頓服薬を多めに飲んだ。この頓服薬を飲むとのどが渇く。普段から水分の摂取量が多いが、大変のどが渇き2リットルくらい、水かウーロン茶などを飲む。一度腎臓を痛めた。病院でとにかく水分を摂りなさいと言われた。ある夜、突然激痛に襲われタクシーに乗って東京女子医大に行った。あまりに痛いので気を失うんじゃないかと思った。ベッドに寝かされ鎮痛剤と点滴を打たれた。この点滴はなんですか、と看護婦に尋ねた。これは水分を補給するためのものですと看護婦は答えた。帰り際医師は、帰宅したらすぐに水を2リットル飲みなさい、ゆっくりではなくすぐに、大量に水分を摂取して排泄する必要がある、そんなようなことを言った。2リットルの水なんて飲めるはずがない、その時のぼくはそう思った。おなかがはち切れてしまう。実際2リットルの水を飲み干すことは難儀だった。それから水分を多めに摂ることが習慣になったのでいまになっては2リットルくらいの水やお茶はなんと言うこともなしに飲める。
ぼくの部屋の窓に対面して大きな桜の木がある。一時期ぼくは和歌に凝っていて、梅の木や桜の木を見ると枝を折り、自分の部屋に飾った。そうして散りゆく花にいにしえの歌人のの歌を汚い字でレポート用紙か何かに書き、捧げた。いろいろな歌を暗唱していたがたいがい忘れた。古今和歌集が好きだった。
もうすぐ誕生日だ。花の散る頃やってくる。
月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして