イマニュエル・カントとジョアキーノ・ロッシーニの『ランスへの旅』は全く関係がない。ロッシーニの美を認めたのはヘーゲルだった。そのあたりのことは水谷 彰良という音楽学者のロッシーニの本に書いてある。だいいち、カントの時代、ロッシーニはまだ生まれてさえなかった。カントの時代に活躍していたのはイタリア人ならパイジェッロとサリエーリ、ドイツ人ならハイドンとモーツァルトだ。その頃、江戸では常磐津が盛んで、長唄はその独立的な輪郭を整えようとしていた。なんでも、江戸っ子は常磐津がないと、一日でも我慢が出来なかったらしい。その後、常磐津人気は衰退していくが、幕末から明治初期にかけて、常磐津林中という大名人を
迎え、最後にして偉大な栄華を誇った(今でも断片的ながらCDなどで聞くことが出来る)。なにしろ、常磐津を越え、あらゆるジャンルの芸人たちが林中に憧れその芸風を取り込もうとした。長唄では四世吉住小三郎、清元では五世延寿太夫。九代目團十郎は林中を指名して仙台から東京に呼び戻して、『関の扉』を演じた。日本の音楽は世界に誇りうる伝統を持っているが、あらゆる日本の伝統がそうであるように、敗戦後、反動的なものとして扱われた。丸山真男が指摘するように、日本人は飲み込みの早さの反面、核となるものを持っていないのだ。われわれは音楽という最も感性的なものを失ってしまった!
さて、ぼくが書きたかったのはこういうことではない。最近ロッシーニを聞いていると、ひょんなことを思い出す。ぼくが大学1年生のころだった。東京芸大の声楽科の学生と飲む機会があった。彼女たちは歌がうまかった。尋ねられてロッシーニが1番好きだと言うと、彼女たちは失笑していた。しかし、今では日本でもロッシーニが音楽の愉悦の天才という評価は自明のものとなっている。