›11 20, 2007

Felice

 横浜のそごうにあるフェリーチェ(イタリア語で「喜び」)という名の喫茶店に行ってきた。ここのプリンは濃厚でとてもおいしい。バニラもふんだんに使われていて香りも心地よい。たかがプリンのくせに結構いい値段がする。そのくせ店の装飾品がどことなくちぐはぐしていて、不思議な店だ。団体客がいて店が混んでいることもあるが、たいていは静かだ。  何年か前にある人とフェリーチェに行く約束をした。ぼくは緊張に顔をこわばらせながら、家を出た。すると時を見計らったかのようにその人から電話があった。仕事で行かれないと言う。極度の緊張の糸が急に切れて、ぼくはひどく混乱した。なぜか、仕事だというのは嘘に違いないと思った。ふとひらめいたその思いつきは、瞬く間に確信となった。ぼくは翻弄されているのだ。ぼくはその人に何回も電話をした。仕事だから当然電話に出られるはずもない。しかし、電話に出られないという事実が逆にぼくの確信に証拠を提供することとなったのだった。  スタンダールは自伝のなかでパイジェッロの小姓にならなかったことを後悔している。スタンダールはスカラ座のオペラ初演日に関して、愉快なエピソードを書いている。オペラ初演日の朝、リブレットが発売される。スタンダールは意気揚々とリブレットを買い込み、部屋に戻るやいなや、それに節付けをする。「どんなマエストロの音楽よりも、わたしの音楽のほうが美しかった。」  ぼくにも似たような経験がある。中学生のころ、よく自前のシンフォニーを口ずさみ、あるいは、叫んでいた。それはモーツァルトやハイドンのどのシンフォニーよりも精緻な響きを持ち、美しいメロディーに溢れているようだった。また、バッハの影響でフルートとチェンバロのソナタを作曲した。これには相当打ち込んだ。ぼくの楽想を五線譜に書き込み、パソコンで演奏して、何回も手直しをした。が、このソナタは一部美しい部分があったものの、結局失敗だった。  このようにして、人生の大半は後悔から成り立っている。



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