›5 11, 2006

ばあさん

 ばあさんは言った。こんなにたくさん本があってあんたは賢いのかね、ばあさんが家を去ることになった前夜、ばあさんを初めて自分の部屋に連れてきて二人でチューハイを飲んでいた。ばあさんはぼくによく偉いねと言った。そんなに勉強が好きなのかね、あんたは偉いね。偉くはないよ、こんな本はみんなすべて道楽だ、ぼくはそう言いたかったが、ばあさんがうれしそうにしているからぼくは黙っていた。  もう一杯飲んでもいいかね、ぼくは缶チューハイを開けてあげて差し出した。あんたは優しいね。母がばあさんが酒を飲むのを極度に嫌うので、ぼくとばあさんはぼくの部屋で別れの酒を飲んでいたのだ。それにぼくは母のいないところでばあさんの気持ちを確かめたかった。  ほんとに家を出て、あの男と一緒に暮らすつもりなのか、嫌だったら家にいてもいいんだよ。  ばあさんは昔から猫が好きで犬が嫌いだった。ばあさんが家に来てしばらくしてトイプードルを飼うことになった。ばあさんははじめ子犬にどう接したらいいのかよく分からないようだった。しばらくすると、一緒に遊びだした。というのも、家人が留守にする際、ばあさんに子犬の面倒をみてもらっていた。その間に愛着を持ったのだろう。  ぼくが仕事から帰ってきたある夜、ばあさんは一人でテレビの前に正座し熱心に何かを観ていた。犬の特集をやっていた。トイプードルは頭がいい、どうやって遊ぶと喜ぶのか、どう教育すべきなのか、そんな内容だったらしい。放送していた内容をぼくに熱心に聞かせた。ほれ、と言ってボールを投げた。それを子犬が取りに行く。ばあさんは子犬を可愛がった。しかし、母の前ではそういったそぶりを見せなかった。子犬とばあさんだけがいるとき、ぼくがいるとき、ばあさんはそうやって遊んでいた。  家にいてもいいんだよ、おれがどうにかするから。佳代子にもあんたにも迷惑をかけられない、それに何十年もあの男といたから不憫だ。いつでも帰ってきてと言うと、ばあさんはいいんだよと言ってはぐらかした。ぼくはばあさんに大きな字でぼくのケータイの番号を書いて渡した。なにかあったらすぐに連絡するようにと言い聞かせた。そして母に隠れて二人で中華料理屋に飲みにいったことなどを懐かしく語った。  次の日、ばあさんは夫と出ていった。ぼくは仕事があるから送って行くことができなかった。  それからばあさんと会うことはなかった。  電話で何回か話したが、やはり犬のことが忘れられないようだった。もうすっかり大人になったよ、ばあさんは口には出さなかったが会いたい気持ちであることはぼくには分かった。ぼくが会いに行くと言うとばあさんは嫌がった。夫がぼくをひがんでいるし、あまりに汚い住居で恥ずかしくてあんたには見せられない。見ない方がいいよ、あんたには無理だよ。  日曜、ばあさんは死んだ。一人で、誰にも看取られることもなく、無機質な病院で。ぼくは泣いた。
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