›2 07, 2006

高田馬場

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 高田馬場のある喫茶店。喫茶店とはさいきんあまり言わないのかな。では、カフェ。
 そこにいる。高田馬場は早稲田大学を筆頭にたくさん学校があるから、学生がたくさんいる。試験期間だからみんな勉強している。ぼくはこういうところで試験勉強をしたことがあったかな。どういうところで、どんな試験勉強をしたのか、あまり覚えていない。
 よく記憶しているのは1年生のときの期末試験だ。革マルがストライキを起こした。すべての試験会場を封鎖して教員を中に入れない。みなヘルメットをかぶり、タオルを口にまいて顔を隠している。いろいろな大学や「プロの」運動家が応援に来ている。全会場を封鎖するには早稲田の革マル派だけじゃ足りない。
 フランス革命、かくあらん(嘘)と、あちこちで紛争が起きる。紛争、闘争、逃走。
 ぼくたちは教室の中で紛争を眺めていた。教室の入り口を運動家がロックしている。教員はどうにかして教室に入ろうとして、もみくちゃになっている。
 学費値上げ反対!
 学校当局は見逃しがたい不正を行っている!
 粉砕!粉砕!労働者と手をともに闘争だ!
 一人の太った学生運動家が教室に入ってきてビラを配った。
 君たちは!君たちはどう思うんだ!
 しかし、ぼくたちは学費値上げには反対だったけれども、当局の不正やユーゴスラビアについてとくにはっきりした観念があるわけではなかった。学費値上げ反対以外はなんのことだか分かりかねた。
 ダークロがなんだかちゃかしたことを言った。その辺のことはダークロHPに詳しく書かれている。
 ダークロはあやうく「吊るし上げ」にあうところだった。
 あのころのダークロはまともなことを言うことの方が珍しく、いつもシェークスピアの道化のようによく意味の分からないことを口走っていた。しゃべっていたというよりもまさに何事かを口走る中身のない空虚な人間だった。いま思えば、あの空虚さは悩める若者の処世術であったのかもしれない。
 しかし、こっちだって悩める若者だったから、その空虚さの裏に、なにかずっしりと重いものがあるのかもしれない、その可能性に気づくほどの余裕はなかった。
 ぼくはたいていの時間を横関と過ごした。ぼくたちは毎日、面白いことを探し、しかし、見つからず、どこに行けば面白いことを味わえるのか考えていた。ぼくたちにモットーがあったとすれば、「書を捨て、町に出よ」だった。本を読み足りないこと、読書に限りない喜びがあること、したがって、本を読み、また賢くもなりたい。にもかかわらず、ぼくたちはもう本にはうんざりしていた。うんざりというよりかは、読書だけの生活は牢獄に閉じ込められているような閉塞感を伴うのだった。
 だから、大空の下で、読書をしたい。ぼくたちにとっての大空はたいていの場合、女性を意味した。
 しかしながら、大空ならぬ女性はまたいとも罪深い存在だった。特定の誰かが罪深いわけではない。女性という現象、女性という表象が罪深く、そして罪深い表象を抱くぼくたちも罪深かった。それで、ぼくたちはいかにして清くなれるのか考えた。こんなに苦しい毎日から逃れるにはどうしたらよいのか。寺に行くか。じっさい、横関は鎌倉の禅宗の寺に行った。一晩で逃げ帰ってきたけれど。あるいは、キリスト者になるか。
 ぼくはキルケゴールを熱心に読み、キリスト者になれば救われるのではないかと真剣に考えていた。横関もまた真剣に考えていた。
 くだんの太った男は叫んだ。
 学費値上げ反対!
 
追記
 上記の文章は馬場のカフェでW-ZERO3を使って書いた。パソコンでやるようにエディタで文章を作成し、コピペ。読み返してみると、ひどい文章だ。まあ、いつも駄文を書き連ねてはいるのだけれど、それにしてもひどい。全面的に書き直そうと思ったが、このままにすることにした。というのも、親指2本でキーボードを入力し、画面も3.7インチだと、こんな風になってしまう記録として残しておきたい。これからも、W-ZERO3で書いていくつもりなので、その変化の記録としたいからだ。
 それに、上述した時期のことは、今後も折りにふれ、書くつもりでいる。まだ、未登場の愛すべき友人たちがいるし、大学時代のことを回想するにあたっては、N.Kのことを書かなくてはならない。



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