文には流れというかある定型があってそれに逆らってなにかを書こうとすることは難しい。たとえば、「きょうは」と書けば、「いいてんきだ」や「ごきげんいかが」や「大安だ」などと続き、「冷蔵庫だ」や「ゴキブリだ」や「一年だ」などとは続かない。つまり、「きょうは」と書いた時点で、その後に続く言葉は制約される。
ぼくはそういう風に制約されるのが嫌で、なるべく違った風に書こうとする。どこかで見かけた文だけで文章が構成されているのが、なんだか嫌なのだ。これはぼくの文章力、もっと言えば、思考が欠如しているのと関係している。ユニークな思考があれば、平易でどこかで見かけたことのある文だけで文章を書いても、全体としてはユニークなものになる。ぼくの場合、全体としてユニークなものがないので、細部にこだわり、文がなるべく定型にはまらないように苦心する。
ここでは「ユニークでなくてはならない」ということが前提となっている。つまり、誰とも違うぼくというものがいて、その誰とも違うぼくが書くものは誰もが書かないようなことを書く(べきだ)と。
はたしてぼくはそれほど独自の存在だろうか、ということを、いま考えていたのだけれども、おそらくぼくが思っているほどには独自でなく(平凡であり)、他人が思っているほどには平凡ではない(独自)だろう。しかし、このことはおそらく、誰にでも当てはまるので、結局ぼくは平凡だということになる。
とりあえず、そんな問題はおいておくとして、ある時、キビさんからこう言われた。この前、ダークロたちと横浜で飲んだときのことを、ぼくはここで「相変わらず盛り上がらなかった」というように書いた。盛り上がらなかったことはないんじゃないの、と言われた。たしかに、誰もがつまらなそうな顔をして、いまにもカバンの中にある本を手にしそうになるほど、盛り下がっていたわけではない。なぜそんな風に書いたのかというと、先日飲み会がありました。相変わらず、ここまで書いたときに、浮かんできた言葉が、実際の出来事とは関係なく、「盛況でした」という言葉だった。たいてい、そうやって書くものだ。でも、はたして、あの飲み会は盛況だったのかというと、そうでもない。それで、たんに文の定型に反対するという理由だけで、「盛り上がらなかった」と書いた。
しかし、まあ、たんなる反対も結局は定型にとらわれているだけだ。
こういう文章が一番好きです。
なんだかわかりませんが、試験頑張ってください!
ほめられてるのか怒られてるのかちょっと不明ですが、コメントありがとう。
日曜日、楽しみにしています。
よろしくね。