16才のころ、従兄弟が事故で死んだ。おじとおばは激しく泣き、激しく悲しんだ。あまりに悲しく、あまりにはげしい喪失感からその家族は新興宗教にはまった。おばには霊感なるものがあるらしく、仏壇の前でお経を唱えると、合わせた手が震え、あの世から亡くなった人が降りてくる。いわゆる降霊というやつだが、なにかにとりつかれている感じだ。それでいろいろなことをしゃべる。内容はたいてい不平不満や、もっとしっかり供養しろとか。しかし、ぼくはそういったことを信じないので、その姿は哀れとしか言いようがなく、なるべく付き合わないようにしている。幸い、父が死んでからほとんど交流がない。話が脱線してしまったが、ぼくの書きたかったのは、ダークロの言う猫の死のことだ。あれから一月ほど経ったが、猫の不在感というのはそれほどない。不在感がないというのは少し変な表現だ。むしろ、悲しみは一瞬にして過ぎ去ったとでも言うべきか。おじとおばに見たあの不在感の重さ、消えることのない傷を負わされたかのごとき、とわが家の軽やかさ、淡々と続く日々。父の死と従兄弟の死。いったいどこが違うのか。