達矢は救いを求めていた。彼は神の救済を信じていた。もちろん、神のことも救済のことも自覚してはいなかったけれど。彼はさまよえるオランダ人だった。実際彼は一つ所に落ち着いてはいなかった。仕事につき、しばらくすると辞めた。東京に出てきてから、その繰り返しだった。出てきたといっても、帰るところはない。
仕事帰りはいつも飲んだ。金はほとんど飲み代に消えていった。時には泥酔することも あった。そういう日の翌朝は便所で吐いて、何も考えようとせず、考えることは自分には許されていないといったふうに仕事に出かけていった。
ある夜、達矢はまた飲んでいた。ひとりだった。初めて来た店だった。路地にあるバ ラックのようなところだった。いまどきこんなところがあるのかと思った。ビルとビルとの間に無理やり建てたようで、同じような店が何軒か軒を連ねていた。そのなかの一軒に何気なく入ったのだった。太った、小ずるそうな女がママだった。焼酎のお湯割。疲れてるの?ああ、なるべく濃く作ってくれ。ごつごつした汚い手だった。その手で、達矢の前にコップを置いた。こんなとこ誰も来やしないだろう。三人も入れば、満席だ。飲んでいい?女は笑っていた。達矢は黙っていた。女は自分にも酒を作り、口をつけた。いただきます。あんたさあ、妙に甘ったるい声だった、こういうとこにはよく来るの?いいや、初めて。そっか、まあ飲みなよ。同じのでいい?しばらくそうして飲んでいた。女はずっと何か話していた。いつから商売をはじめたのか、どこから来たのか、景気のことだとか。あまり聞いていなかった。その声は誰も聞いていないテレビから聞こえてくる調子のいい声と混ざり合っていくようだった。タバコがないな、そろそろ行くか。行くってどこに?これからどこか行くところあるの?ないよ。そんなら買ってきてあげるよ、おーいちょっとまーさん、タバコ買って来て。ラッキーストライクだって。隣の店に話し掛けているようだった。何もそんなに大きな声出さなくても、どうせ壁ったってベニヤ一枚だろうに。女はテレビの音を小さくした。奔流を逆らって喘いでいる鮭を狙っている熊のような目つきだった。それは言いすぎか。女の目は曇っていたから。あんた女の子欲しくない?達矢は悟った。いくら?
コンビニで酒を選んでいた。女のほうを見た。女は何を考えているのか、ぼうっとこっちを見ていた。何か飲む?ビール。どの?何でもいいよ。達矢は缶ビールを何本か籠に入れ、自分のためにワインを買った。女はサンダルと網タイツをはいていた。髪は多分ウィッグを付けているのだろう。白人の人形のような金髪だった。そしてルイ・ヴィトンを持っていた。
いったいいつ頃からふつうの女と娼婦との区別がなくなったのだろうか?ふつうの女がみんな娼婦になってしまったのか?あるいは娼婦なんてものはいなくなってしまったのだろうか?今や「娼婦」なんて言葉は古語辞典にしか載っていないのかもしれない。文豪なんてものが過去の遺物になってしまったように。
だが、達矢は女に満足していた。ルイ・ヴィトンを持った女に。女が現在を象徴していたから。達矢はあらゆる意味において現在から孤立していた。現代のあらゆる思想家がまくし立てる意味においても。現実の生活においても。警備員をし、土方をし、食器洗いをし、ビルの清掃をやっていたひとりの男がどうやってこの現在に侵入していくことができるだろうか?現在性とはもはや自明のものではないのである。特にこの国においては。それは消費であり、洗脳であり、マスメディアであり、ポップスであり、渋谷であり、代官山であり、あるときは池袋で、新宿である(ああ、なんという同意反復!)。要するに現在性とはイマゴローグなのだ。
そして女たちは自ら記号へ、シーニュへと身を堕していった。親獅子が子獅子を千尋の谷へと突き落とすように。しかしそこには何ら荘厳さはなかったのであるが。二十世紀初頭、ソシュールは記号論を打ち立てねばならないと訴えた。期せずして、事態は今そうなった。娼婦と消費の大いなる記号論。
彼らはラブホテルの一室を取った。女は急いでことを済ませようとした。シャワーに入ると言った。そんなに急ぐことないじゃないか、俺は朝までおまえを買ったんだ。そうだまだ名前聞いてなかったね、なんていうの。なんて呼んだらいいんだい。女はカナエと答えた。どんな時書くの?可奈絵。本名かい?そうよ。達矢は可奈絵が服を脱ごうとするのを止めさせ、飲もうと言った。部屋は間接照明で薄暗く、石鹸の香りがした。そこは綺麗に施されてはいるが、牢獄にいるかのような印象を達矢に与えた。彼は可奈絵のためにビールを開けてやり自分はワインをビンから直接飲み始めた。可奈絵は特に美人といった風でもなく、堕落した仕事をしているようにも見えなかった。ただ、心が空っぽなのではないかと言った感じで達矢をじっと見つめていた。達矢は思わず目をそらした。