滝に身を打つという行為は意義深い行為にちがいない。というのも、ぼくのばあい、シャワーに入るのは洗髪し体を洗うためだけにするのではない。ぼくはいいえぬ罪深さを感じる。あらゆる欲求が、思いが罪深く思われる。そういった考えはニーチェが非難したデカダンスだろうと思慮する。しかし、こころはぼくを糾弾する。それは「審級」とかそういったものでもない。たぶん。
そうしてぼくはシャワーを浴びる。罪深いあらゆる思いを洗い流そうと。顔にお湯をあて、その刺激がぼくの思いをうち消すだろうと。あぶらとともに思いも落とそうと。
たんねんに歯をみがく。やにくさい。やにが流れ落ちるのを見るとほっとする。
滝に身を打ったらどんなにすっきりするかと想像する。